第8期:テーマ「オヤジ」
しのぶもの
今度こそ、死んだと思った。少し手を伸ばせば届くところまで、死がやってきていた。
三日月のように薄い刃を、間に合わせの短刀で受け止められたのは奇跡的だ。
鹿毛は背後の木にもたれかかり、ずるずると崩れ落ちた。
今宵の死は、随分と烈しい目をしていた。黒く覆われた全身の中で、その烈しい目だけが月光の下、輝いていた。
相手は、まるで自分の刃を受け止められる者などこの世に存在しないと信じていたかのように、一瞬、目を丸めて鹿毛を見た。それからうっすらと笑みを浮かべた。
確かに笑ったと、鹿毛は確信している。
あの目が、愉悦を滲ませて僅かに歪むのを、鹿毛は至近距離で見た。
目尻の皺が深かった。鹿毛よりも随分と年上であるらしい。
「生きてるのか、鹿毛」
自分を呼ぶ声に、顔をあげる。誰かは分かっていた。
「孜孜さん」
「何を呆けている」
「いえ…あの、今日の刺客、誰か分かりますか」
「あん?」
「烈しい目をした…あんたと同じくらいの歳の」
「ああ、そりゃ山藍だろう」
「分かるんですか?」
「おれと同じ歳でまだ現役を続けているやつは、おれと山藍しかいないからな」
孜孜の答えに、口の中で呟く。
敵わないと思う。
孜孜にも、山藍という男にも。
自分が彼らと同じ歳の頃、果たして現役を続けているのかは想像もつかない。
山藍の烈しい目を思い出して、体がぶるりと震えた。
孜孜は軽く息を吐くと、「さっさとしろよ」と言い残して踵を返した。
山藍の目に見た僅かな愉悦が、鹿毛の記憶の中で快楽に塗り変わって行く。
震える息を吐き出して、鹿毛は野袴の前を寛げた。
きつね
「酒を飲みませんか」
ニシキは、右手に持った酒瓶を振って見せる。
笙真はそれを横目で見て、手にしていた筆を置いた。写経机を少し向こうへ押しやり、体ごとニシキの方を向く。それを見たニシキは、嬉しそうに笑った。
「酒は飲まん」
笙真の言葉はにべもない。それでも、いくらかの小言の末に彼は必ずこのささやかな酒宴を受け入れてくれることを知っているニシキは、笑みを浮かべたまま膝でにじりよった。
「失礼、命の水です。いかがです?」
言いながらも、手はすでに、透明な液体を杯に注いでいる。
笙真はため息をつきながらも、手渡された杯を受け取った。
「まったく、お前ほど酒の好きな狐もいないだろうよ」
酒に酔うと、笙真は必ずそう言う。
「そりゃあ、人間と飲むような物好きは私くらいでしょうよ」
「しかも老いぼれ坊主を相手にか」
「はて。私は、例えあなたが若いさむらいであろうと、酒を飲みに通うつもりですがね」
ニシキは笑いながら、盃の端を舐めた。笙真がわずかに眉をしかめる。
「年寄りをからかうものじゃあない」
「からかったつもりはありません」
笙真は何度目になるか分からないため息をつくと、側らに避けてあった写経机から折りたたまれた懐紙を取り出した。それを無造作にニシキへ差し出す。
「これは?」
「経だ。私が死んだら、それを読め」
「経を読むのは坊主の仕事でしょう」
「お前が死んだら、私が読もう」
ニシキは一瞬、驚いた顔をして、それから満面の笑みを浮かべた。
この人間に化ける狐は、好いた相手が獣である自分のために経を読んでくれるというのが、たまらなく嬉しいのだ。
彼の開く世界
花が咲くというのは実に不思議なことなのだと、彼は言った。
蕾ができて、時期が来れば自然に開く。
たったそれだけの行為に、彼は奥深さを見出していた。
“花が開くというのは、本当に不思議なことなんですよ”
向日葵のような笑顔で、彼はそう言う。
甥っ子を迎えに行った保育園。
そこで出会った彼は、向日葵のように健気で、明るく、頼もしかった。
年甲斐もなく彼に夢中になっている自分に驚く。
“だって、僕らが知るよりも先に、花たちは春の訪れを知っているんですよ? 不思議ですよね”
私は彼に笑顔で頷いたが、実は彼ほど不思議に思わなかった。
花が咲くというのは、自然なことなのだ。
花たちは春を知るのではない。ただ、彼らの中に湧き上がるのである。春への憧憬が。大切なものが近付いた喜びが。恋しい相手がすぐそこにいるという確信が。
彼に出会って、私はそう考えるようになった。
あとがき
> [??〜??]
いつ掲載していたのかは分かりませんが、親父強化月間だったことは確かです。このときの拍手お礼ssは「オヤジ」つながりでした。
・「しのぶもの」
→オヤジ様いいよね〜。この話は気に入っています。いつか1本書きたい! 将来有望若者×ベテランオヤジ様が好きなんですよ。
・「きつね」
→趣味に走って若者を狐にしました! でもこの狐、実は年経た妖狐で笙真より年上だったりすると萌えます。でも年上風吹かせてるのは笙真なんだよね、きっと。
・「彼の開く世界」
→甥っ子は妹の息子でひとつ。
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