正月のふたり

 餅はつき終わった。掃除も終えた。正月飾りも準備した。
 亮三はかるく伸びをして、隣の千代へ視線をやった。千代は小さな手でせっせと餅を丸めている。餅を丸めた手で触ったのか、短く切りそろえられた前髪に小さな餅のかけらがくっついている。亮三は手を伸ばして、それを取ってやった。
「終わったの?」
 障子が開いて、千代の母親であり、亮三の姉である貴子が顔を出した。
「千代ちゃんが頑張ってくれたので、もう終わりましたよ」
 亮三が言いながら頭を撫でると、千代は嬉しそうに笑う。貴子は微笑んで「休憩しましょ」と羊羹の乗った皿を差し出した。
「千代ね、ようかんよりもおもちが食べたい」
 餅を丸め終わった千代が、亮三の膝の上に乗ってくる。亮三は彼女を両手で抱え上げてきちんと膝に乗せてやり、ゆっくりと髪を撫でてあげた。
「お餅は明日の正月になってからね」
 そういうと千代は少し頬を膨らませた。けれども母親の貴子が声をかけると、側に寄っていってその膝に乗り、手ずから羊羹を食べさせてもらっている。その様子が微笑ましくて、亮三はくすりと笑った。
「亮三さんのおかげで無事に正月を迎える準備ができたわ、ありがとう。お夕食は食べていくでしょう?」
「いえ、僕はこのあと用事があるので、そろそろ失礼します。それに、今日は義兄さんが帰ってくる日でしょう。家族の団らんに水を差すわけにはいきませんからね」
「まあ、ゆっくりしていけばいいのに」
 驚いたように言う貴子に軽く挨拶して、亮三は姉の家を辞した。玄関で見送ってくれた千代が「またきてね」と手を振るのが可愛らしかった。

 外は肌寒く、吐き出す息が白く濁った。亮三が待ち合わせ場所に行くと、待ち合わせ相手の由貴哉はすでにいた。
「待たせたかな」
「いや、僕も今来たところだ」
 そう答えた由貴哉の鼻は赤い。少々待たせてしまったようだった。
「どこかカフフェーにでも入るか」
 亮三が問えば、由貴哉は静かに首を振った。
「恥ずかしながら、いま持ち合わせがないんだ」
「珈琲代くらい、僕が」
「そういって、この間も結局は食事までご馳走になってしまったじゃないか。そうだ、君がよければ、僕の部屋に来ないか。お茶くらいは出せる」
 由貴哉の提案に、亮三は頷いた。
 サクサクと霜を踏みしめながら歩き、白い息を吐き出す。亮三は由貴哉が赤くなった鼻をこするのをこっそりと数えていたが、その回数が二十と三回目になったとき、やっと由貴哉の下宿についた。

「狭いな」
「貧乏な医学生の下宿先なんてこんなものさ」
 眉をしかめた亮三に構うことなく、由貴哉は床に落ちていた座布団を拾い上げ、軽くほこりを払うと敷けと勧めてくる。それを受け取った亮三が座布団に腰を下ろすよりも早く、彼は缶筒と急須を持って、「お茶をいれてくる」と部屋を出て行った。
 残された亮三は座布団にちょこんと腰かけて由貴哉を待った。由貴哉は医者を志す青年で、医院に勤めながら勉強を続けている。その医院の患者であった亮三とは些細なことから意気投合し、それから徐々に親交を深めた。その親交は、いま、別の形に変わりつつある。少なくとも亮三のなかでは。
「待たせたな」
 由貴哉が戻ってきた。部屋を出たときは持っていなかったお盆を手にしている。お盆の上にはきれいな茶碗がふたつ。どうやら下宿のおかみが貸してくれたものらしかった。
「粗茶ですが」
 お決まり文句を言いながら、由貴哉が亮三の前に茶碗を置く。
「番茶か」
 茶碗から立ち上る香りに、亮三が僅かに目を細めた。
「悪かったな」
 暗にけなされたと思った由貴哉がぶつぶつと呟く。
「なにも言ってないだろう」
 亮三があきれたように言って、茶碗を口に運ぶ。香ばしい香りに、笑みを深くした。
「年末は忙しいか」
 由貴哉が問う。
「そうでもない。姉の家の準備を手伝っただけだよ。実家は特にすることはないし。そちらはどうだ?」
「そうだな、寒くなってきたから風邪をこじらせる人が多くて忙しいかな」
「郷土には戻らないのか」
「戻れないよ」
 由貴哉はそこで口をつぐんだが、亮三は無言で先を促した。
「医者になるまでは戻らないと言って出てきたんだ。郷土には手紙でも書くよ」
 言って、彼は茶碗をあおった。
「自棄になるなら酒にしたらどうだい」
 重くなった空気を払うように、亮三がからかい口調で言った。由貴哉がふっと微笑む。
「そうしよう、君も飲むかい?」
「そうだな…帰れなくなったらここに泊めてくれるかい?」
 亮三が唇の端に笑みをのせて、そっと由貴哉に手を伸ばすと、彼はどきりとしたように体をこわばらせた。視線があわさって、慌てて由貴哉が顔をそむける。その耳が赤いことに、亮三は気づいている。
「ん、あ、ああ…そうだな、泊っていってくれて構わないよ」
 由貴哉が視線を反らせたまま言う。「酒をとってくるよ」と席を立とうとするところを、亮三の手がとどめた。
「由貴哉…」
「…っ!」
 名を呼ばれ、はじかれたように由貴哉が亮三を見た。亮三はじっと彼を見つめたまま、掴んだ手を引き寄せた。
「…っ、亮三、手を離してくれ…」
 弱々しい抗議は、抗議していないのと同じことだ。由貴哉を腕の中に抱きこんだ亮三は、反対の手で彼の前髪をかきあげ、露わになった額にそっと唇を寄せた。由貴哉が微かに息を吐き出す音が聞こえた。額から離れた亮三の唇は、頬を滑り落ち、相手の唇をかすめた。
「亮三っ…!」
 由貴哉が、両手で亮三の体を押し返し距離を取る。壁に背をつけた由貴哉が自らの体を抱きこむように丸くなるのを、亮三は眉をしかめながら見た。
「どうして、こんな…、おかしいだろう、よく考えろよ」
 由貴哉が小さく呟く。
「おかしいかい?」
「おかしいだろう! 僕は男で、しかも片田舎から出てきた見習いの医学生で、君は名家の三男で、そのうちしかるべき家からお嫁さんをもらうはずで、親交は深めても、その親交が違う形になっていいわけ、…ないだろう…?」
 その声は微かに震えている。亮三は側に寄って、そっとその背中に手を伸ばした。じわりと由貴哉の体温が伝わってきて、なんだか泣きそうになった。
「結婚の予定はないよ」
「今はなくても、将来はあるかもしれない。君だって可愛い奥さんや子どもが欲しいだろう?」
 由貴哉の言葉に、亮三は少し考え込んだ。脳裏には、姉の家を辞すときに手を振って見送ってくれた千代の姿が浮かんでいる。子どもは好きだ。それが自分の血が繋がった子ならきっと更に可愛いだろう。
「確かに、子どもは好きだ。それが自分の血が繋がっていれば、ことさら可愛いと思うだろう」
 亮三はそこで言葉を切る。
「でも、奥さんはいまのところ欲しいと思ったことはないし、血のつながった子どもは姪がいるから十分なんだ」
 それよりも、と亮三は由貴哉の背に回した手に力を込めた。
「僕は君を欲しいと思うよ」
 由貴哉は一度あげかけた顔を、再び膝の間に埋めた。僅かに覗いた頬と耳が真っ赤に染まっている。吐息のような微かな声が、「ぼくも」と響くのが聞こえた。
 亮三が由貴哉を引き寄せると、彼はそっと顔をあげた。そして亮三は、今度こそ彼の唇に自らの唇を落とした。

END

あとがき

> [2012/01/03] > [2016/05/05 加筆修正]

年始のあいさつ用の短文でした。
割と気に入っている話なので、そのうちきちんと短編か中編にしたいですね。
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