酒に酔っていたのです。私も彼も、飲みすぎていたのです。それはまったく疑いようのないことです。とにかく私の話を聞いてください。
新年を迎えたその日、私は商店街の寄り合いに顔を出しました。私の家は、祖父の代から小さいながらも花屋を営んでおりまして、私はそこの三代目にあたります。父は去年から店の事務的な事は私に任せておりましたので、寄り合いには私が参加することになっていました。寄り合いといっても、新年のあいさつと今年一年の商売繁盛を寄り合い所の神棚に向かって祈るくらいで、それが終われば飲み会が始まります。とはいえ「先輩方」はたいていすぐに帰ってしまいますので、新年の飲み会には各店の若手が集まるのが常でした。
その日の飲み会に参加したのも代わり映えしないメンバーでした。六人ほどでしょうか。同じ商店街ですから、顔見知りと言うよりも腐れ縁と言った方がふさわしいような顔ぶれです。新しいメンバーとしては去年の初めに八百屋の一人娘みっちゃんのところへ婿に来た幸助さんがいますが、人懐っこい彼はすぐに私たちにとけこんでしまったので、その日の飲み会は気心の知れた連中との楽しい飲み会になるはずで、私は少なからず楽しみにしていたのです。そしてその期待通り、夕方から始まった商店街の新年会は、なごやかな雰囲気で進んでいました。
問題は、寄り合い所の隅に積まれていた段ボールの中から、百人一首のカルタが発見されたことから始まりました。
酒に飲まれ、また正月ということで浮かれていた私たちは、正月らしいことをしてみようと、さっそく百人一首を手にしました。しかし、ただでさえ優秀でない上に酒の入った頭でカルタに書かれたミミズのような文字が読めるわけもなく、私たちは百人一首を早々にあきらめました。
坊主めくりというゲームを提案したのは、床屋の賢ちゃんだったように記憶しています。賢ちゃんによれば、坊主めくりは人の絵が描かれた読み札だけを使うゲームで、中央の山から一人ずつ札を引いていき、最後に多く札を持っていた人が勝つというものでした。ただし、坊主の絵が描かれた札を引いた人は今までためた札を全て場に出さなくてはならず、女性の絵が描かれた札を引いた人がそれをもらえるという、運が重要なゲームです。
最初の勝者は私でした。二戦目の勝者は商店街の外れにある診療所の孝之。三戦目は再び私が勝利し、四戦目は孝之でした。こうなると、私と孝之のどちらがより運が強いのか決着をつけねばなりません。私としてはどちらでも良かったのですが、少々酒が入っていたこともあり、孝之の「怖気づいたのか」というセリフについついカッとなってしまったのでした。
そもそも、この汐杉孝之という男は昔からソリの合わない男で、何かと張り合う機会の多い相手でした。ですので、二人での勝負が始まった時、賢ちゃんはじめ周りのメンバーは私たちを止めもせずに放っておいたのでしょう。
端的に言えば、私は孝之との勝負に負けました。負けと言っても僅差です。完敗というわけではありません。しかし、負けは負け。私は大人しく負けを認めました。
「負けた方には罰ゲームだよな」
その余計なひと言を漏らしたのは、肉屋のタケでした。その一言で、一気に周囲は罰ゲームモードになりました。孝之もニヤニヤとしながら、「罰ゲームは、そうだなぁ〜」などと呟く始末です。私は必死に一番負けたのは私ではないと主張しましたが、もともと子供みたいな連中で、その上お酒も入っているものですから理屈など通用するはずもありません。
孝之の出した罰ゲームは、彼の言うことを一つきくというものでした。罰ゲームの王道ともいうべき内容に、周りは大盛り上がりです。みんな目を輝かせながら(実際には酒のせいで濁っていましたが)、孝之が何を命令するのかを心待ちにしていました。
しかし、「その前に、」と孝之は前置きをしました。
「年末の検査結果が出ているので、ちょっと診療所まで取りに来てくれ」
その場にいた全員がぽかんとしました。私もぽかんとしました。確かに、私は年末は具合が悪い日が続いたため、孝之に頼んで検診してもらったのでした。
「年初めから言うことじゃないが、話したいことが二、三ある」
孝之の声は抑えめで、まるで医者が患者に重大な病気を告げるときのようだと思いました。そしておそらく、その場にいた他のメンバーも私と同じように感じたのでしょう。賢ちゃんが「すぐに行った方がいい」と私を促しました。なので私は孝之と二人、彼の診療所へと向かったのです。
診療所へ着いてすぐに、孝之は私を診察室の患者用の椅子に腰かけさせました。それから机の中から一枚の紙を取り出して、そっと私に手渡しました。年末に私が受けた検診の結果なのでしょう。私は覚悟を決めて、その紙を覗きこみました。紙には、私にはよく分からない数字がずらずらと書いてあって、一番下の欄に「異状なし」という文字がタイプされていました。
私は拍子抜けして、目の前に腰かけた孝之の顔を見やりました。彼は澄ました顔で「そこに書いてある通り、異状なしだった」と答えました。
私は安心すると同時に、彼のからかうような態度にむっとして「じゃあ、わざわざ呼び出すこともなかっただろ」と吐き捨てました。すると彼は「話があると言っただろう」と答えます。
「なんだよ」
「いや…」
彼は言い淀みました。いつもむかつくほどに自信に溢れている彼にしては珍しいことでした。
「言いにくいことか?」
私の問いかけに、彼は観念したようにため息をつきました。新年早々、陰気な事です。
「罰ゲームだけど」と彼は言いました。「なんだ」と私は答えました。
「今から俺のすることに抵抗しないでくれ」
「は?」
孝之は何やら怪しげなことをいうと、私の顎を掴みました。掴むといっても、診察の時に口内をチェックする時のような動きでしたので、私はついつい油断してしまったのです。そう、私は油断していたのです。おまけに酒が入っていたものですから、私には孝之の行動を止めることはできませんでした。
孝之はあろうことか、そのまま私の唇に自分の唇を押し付けてきたのです。それからすぐにぬるりとした感触があって、私は唇を舐められているということに気づきました。彼は私の下唇を舐め、上唇に軽く歯を立てると、そっと離れました。
混乱した私は、茫然と孝之を見つめました。孝之は何も言わず、静かに私を見つめていました。自分のつばを飲む音がやけに大きく聞こえました。動けないまま彼を見つめていると、無意識だったのでしょうか、彼は私と視線を合わせたまま、右の唇の端をぺろりと舐めました。それを見た途端、私は急に恥ずかしくなって逃げるように診療所を出ました。
私はその足で寄り合い所へ走り、だらしなく酔いつぶれていたタケの頭を蹴りつけて(そもそもアイツが罰ゲームなどと言いださなければ良かったのですから!)、自宅に戻って酒をあおって眠りにつきました。
それが昨日の出来事です。
今朝の目覚めは最悪でした。私が二日酔いでがんがんする頭を抱えながらこたつでミカンを食べていると、姉が来客があると伝えました。
「誰?」
「孝之くんよ」
さて、私はどうしたらいいのでしょうか!
END