iridescent...

 ヨシマがカワザキの所へ遊びにやってきたとき、カワザキはせっせと巣の修復をしていた。昨夜の風雨で随分と傷んだらしい。縦糸が2本も切れて、彼の巣は半分ほどの大きさになっていた。
「精が出るな」
「うん、趣味みたいなものだからな」
 話しかけても、カワザキはちらりと顔をあげただけで、再び糸を繰り出して網を編む作業に戻ってしまう。仕方なく、ヨシマは彼の巣の橋脚ともいえる縦糸がくっついた木の枝に腰を落ち着けて、カワザキが巣をつくる様子をぼんやりと眺めた。
 カワザキは糸を使い分けて、器用に巣を編みあげて行く。彼が動くたびに、残った横糸にくっついた雨の滴が揺れて木漏れ日を優しく反射させた。
 昨夜の雨が嘘のように、今朝の空は穏やかだ。ただ、空気中に漂う水の匂いが、今日も雨が降ることを予感させた。
 ふと、ヨシマの脳裏に、雨嫌いの友人の顔が浮かんだ。そういえば、彼の顔をまだ見ていない。
「そういえば、お前の愛しいアギはどうしたんだ?」
 問えば、カワザキは作業の手を止めて振り返った。
「まだ寝てる。」
 答えは簡潔だ。その理由を尋ねる気にならず、ヨシマはため息をつく。
「起こすぞ」
「なんでだよ」
「おれが暇なんだよ」
 ヨシマはカワザキの返事を待たず、アギが寝ているであろう彼らの巣へ近づいた。実はカワザキが今修理しているのは彼の巣ではなく、彼が餌をとるための罠である。しかし、その罠も最近ではまったく機能しておらず、カワザキが修理するのは彼の言葉通りまったくの趣味であった。その理由を知っているヨシマは、カワザキのことを酔狂な奴だと思っていたが、彼のつくる罠は繊細で美しかったのでそれを見ることができるのを嬉しくも思っていた。同じ蜘蛛でもカワザキのように罠をつくらないヨシマには、備わっていない能力だ。
 覗き込んだ巣の中では、アギが寝ていた。ヨシマが軽く声をかけると、眠りが浅かったのか、彼はすぐに目を覚ました。
「ヨシマ」
「よ、お邪魔してるよ」
 アギは軽くうなずくと、「カワザキは?」と問いかける。ヨシマが「外で網の修理をしている」と答えると、彼は起き上がった。二人でカワザキが見える木の枝に移動する。アギは大きく伸びをして、それから背中の羽を広げた。2対4枚の薄い羽が青く光るのを、ヨシマは不思議な感覚とともに眺めた。
 アギと出会ってから、カワザキは獲物を捕食しなくなった。ヨシマには相変わらず獲物としか見えないが、カワザキはこのチョウのようにふわりふわりと飛ぶトンボに随分と入れ込んでいるのだ。一度、カワザキが深刻な顔をして「アギは複眼でおれが何千と見えるのに、おれには8つの目の分しかアギが見えないのが悲しい」と言いだしたことがある。ヨシマは呆れかえってカワザキを見返したが、彼の眼は真剣だった。それ以来、ヨシマはカワザキにアギの話題を振らないようにしている。
 しかし少し話をしてみれば、アギは種族こそ違えど中々面白い奴だった。アギにしてもヨシマに対して同様の思いを持っており、彼らは友人といえるような関係であった。もっともアギは、ヨシマの大きな体が苦手なようであったが。
「今日も雨になりそうだな」
 ヨシマが言えば、アギは嫌そうに頷いた。
「雨は好きじゃない」
 雨は、彼の羽を重くするという。羽を持たぬヨシマやカワザキには理解しえぬ感覚であるが、アギにとっては重要な問題であるらしい。
「でも、カワザキは雨が好きだろ」
 からかうようにヨシマが言えば、アギはますます眉をしかめる。カワザキに心まで絡めとられてしまったアギは、彼の好きな物を好きになれぬ自分が嫌なのだ。
 ヨシマは心の中でこっそりとため息をついた。それから、視線をカワザキへと向ける。彼は網の修理を終えて、こちらへ向かってくるところであった。
「終わったのか」
「ああ」
 カワザキは簡潔に答えると、器用に横糸の上に立ち止まって空を見上げた。
「雨になりそうだな」
 アギが言う。
「ああ」
 カワザキは優しく答えて、眩しそうにアギの羽を見やった。
 アギの羽は先の方が透明で、それ以外は青色をベースに水色や紫色、ピンク色などが入り混じった不思議な色をしている。光が当たるとキラキラと光り、その美しさはカワザキでなくとも見とれてしまうほどだった。
 その美しい羽の色が、アギの心を重たくしている要因であると、ヨシマは知っている。
 アギは知らない。
 あるいはカワザキも、アギの気持ちを分らないのかもしれない。
 2人から少し離れた場所にいるヨシマだけが、複雑な思いを持ってそれを眺めている。
「まあ、今日の雨はそんなに強くないんじゃないか。もしかすると虹が出るかもしれない」
 ヨシマはそう言って、8本の足で体を持ち上げた。
「帰るのか」
「ああ。雨が降る前に巣に戻りたい」
 カワザキはヨシマを止めなかった。それに心の中で「友達がいのない奴だ」と悪態をつきながら、ヨシマは木の根元にある自分の巣へ急いだ。
 自分の巣に落ち着いて、ヨシマは鮮やかな緑色の体をした友人と、美しい羽を持ったその恋人のことを思った。
 カワザキは雨の後に出る虹を、アギの美しい羽と重ね合わせて、愛しているのだ。アギはそれを知らず、カワザキは雨そのものが好きであると信じている。そのすれ違いが彼らの心を重くしている。
 ヨシマは憎らしげに、木の葉の間から覗く、遠い空を睨みつけた。
 そこに虹はまだ見えないが、ヨシマは虹が嫌いだった。あの空に走るアーチが、全ての元凶なのだ。カワザキとアギ、そしてヨシマにとっても。
 7色の光。
 空に架かる橋。
 虹。
 雨のつくる弓。
 いくつもの言葉で表現される光の、なんと凶悪なことか。
 あの弓は、幾重にも織り込まれた光の矢をもってカワザキとアギを貫き、そしてヨシマをも射抜いてしまった。
 射抜かれたヨシマは、悲しげに眼を伏せるしかない。そして、ヨシマは茶色と黒で構成された自らの体を見下ろしたのだった。
 ぱらぱらと音がして滴が落ち始めた。昨夜の雨とは違い、細かな水滴だ。きっとすぐに雨は止むだろう。そして雨の後には、虹が出るだろう。
 ヨシマは空から視線を外して、巣の中に隠れた。
 あの光を前にしては、美しい体を持たぬ彼に為すべき術はなかった。

END

あとがき

> [2007/09/19]

ずっと虫の話を書きたいと思っていたのですが、やっと書けました!
蜘蛛に色が分かるのかという突っ込みはナシでお願いします。蜘蛛には8つの目があるそうなので、紫外線とか赤外線とか、人間が見ることのできない光をとらえてものを見てるんじゃないですかね?
蛇足ですが、それぞれのモデルは下記の虫です。
 ヨシマ → コ/ア/シ/ダ/カ/グ/モ
 カワザキ → ウ/ロ/コ/ア/シ/ナ/ガ/グ/モ
 アギ → チ/ョ/ウ/ト/ン/ボ
興味があれば、検索してみてください。ただし、虫嫌いの方はご注意ください。特にコ/ア/シ/ダ/カ/グ/モは、蜘蛛が苦手な人は見ない方がいいです。比較的チ/ョ/ウ/ト/ン/ボは平気かな。彼らの羽は、写真によっては本当に蝶の羽のよう美しいです。

この話は原稿用紙およそ6枚なので、本来ならば短編に分類すべきですが短編に入れるほどの内容でもなかったので掌編においておきます。
感想や誤字・脱字報告をいただけると嬉しいです!