妖精の輪舞

 ヒューラはもう堪えられなかった。だから、商売道具の笛だけを持って村を出た。風は冷たく頬を切り裂くようだったが、先程受けた屈辱を思えば、まだ我慢できるものだった。
 愛しいシャルは、あの金の巻毛の青年は、皆の前でヒューラを侮辱したのだ。ヒューラの無骨な手をまるで岩のようだと言い、ヒューラの固い髪の毛をまるでアザミのようだとからかい、ヒューラの赤くなった顔をまるで夕日のようだと嘲笑ったのだ!
 数日前、ヒューラはシャルに自分の気持ちを綴った手紙を送った。返事はなかった。代わりに彼の友人たちが、シャルの返事だと言伝を読みあげた。それが先程の内容だ。
 堪えられなかった。ひどい屈辱だった。
 ヒューラは早足で歩き続けたが、月が高くなるにつれ辺りはますます暗くなる。着の身着のままで飛びだしたから、ランプなどは持っていない。途方にくれ、彼は目に着いた岩にどっかりと腰を下ろした。
 もう村には戻れない。このまま他の村へ行き、旅の笛吹きになるしかない。幸いなことに、笛の腕には自信がある。
 月はますます高くなる。風はますます冷たくなる。ヒューラはイライラと足を踏みならし、少しでも寒さをまぎらわせようと笛を取り出して吹き始めた。
 笛の調べは、夜の草原に滔滔と流れていった。
 どれほどの時間が経っただろう。演奏に没頭していたヒューラは、ふと、自分のつま先程の小さな光が、足元を飛び回っていることに気づいた。その光は次第に増えて行き、彼の腰かけた岩を中心にしてくるくると回り始めた。光と見えたのは妖精だった。沢山の妖精たちが彼の笛の音にあわせて踊っている。
 これが妖精の輪舞かと、彼は驚いて手を止めた。妖精たちはそのまま踊り続ける。手を繋ぎ輪になって、軽やかにステップを踏む。くるくると回れば、花のドレスが鮮やかに翻った。
 "小さな隣人"たちは楽し気で、つられるように彼は再び唇に笛をあてた。こうして笛を吹いているだけで気分が高揚してくる。シャルから受けた侮辱も、忘れられるような気がした。
 そうだ、忘れてしまえばいい。シャルのことも、彼から受けた侮辱も、それでもまだ存在を主張するこの気持ちも――



 ヒューラを追いかけてきたシャルは、聞こえてきた笛の音に眉を寄せた。こんな真夜中の草原で、笛を吹く者があるとは思わない。妖精の仕業だろうか。怪しく思いながらも、シャルは音のする方へ馬を進めた。
 こんな夜には妖精たちが集まって輪舞するという。妖精の輪舞に参加した者は気が狂うと言われているから、早くヒューラを見つけて連れ帰らねばならない。シャルは、こんな夜中に村を飛び出したヒューラのことを思った。
 数日前、彼の想いが綴られた手紙をもらった。おもいがけない彼の好意に戸惑い、すぐには返事ができず友人に相談した。それが失敗だった。遅くれて行った酒場で友人たちの行為を聞き、シャルは蒼白になった。それから慌ててヒューラの後を追った。
 酷い屈辱だったろう。ヒューラの気持ちを考えると、顔から火が出る思いだった。
 そのうち彼は、不審な光を目にして馬を止めた。小さな光がいくつもいくつも連なって、輪を描いている。よく見ると、輪の中心には岩があって、その岩に男が腰掛けていた。
「ヒューラ!」
 シャルは目を見開いた。輪の中心にいたのは、まさに探していた彼だった。一心不乱に笛を吹いている。その笛の音にあわせて、光はくるくると揺らめいた。
「ヒューラ!」
 シャルは叫んで、馬を走らせようとした。けれども馬は何かに怯えたように短く嘶き、その場を動こうとしない。シャルは小さく舌打ちして、馬の背から飛び降りた。
「ヒューラ、駄目だ。妖精の輪舞に参加しては駄目だ!」
 走り寄りながら叫ぶが、聞こえないのか、ヒューラは楽しそうに笛を吹き続けている。
 早く彼を止めなくてはと思うのに、体は一向に前に進まない。シャルはもがく様に両手足をバタバタとさせ、狂ったようにヒューラの名を呼び続けた。



「…ヒュ…ラ」
 無心に笛を吹き続けていたヒューラは、名を呼ばれたように感じて、顔を上げた。
 妖精たちは変わらず、輪になって踊っている。
「ヒューラ!」
 今度ははっきりと聞こえた。声のする方へ首を巡らせて、ヒューラは驚いた。
 シャルだ。シャルがこちらに手を差し伸べて、しきりにヒューラの名を呼んでいる。
「妖精の輪舞に参加してはいけない、ヒューラ!」
「…シャル?」
 眉を寄せて彼の名を呼べば、シャルはますますヒューラの名を呼んだ。
「ヒューラ、こちらへ! 手を…」
 彼は言われるまま、差し出されたシャルの手を取った。
 その瞬間、今までくるくると踊っていた無数の妖精たちはたちまち消え去り、あとにはヒューラとシャルが残された。
「ヒューラ、よかった」
 シャルは涙目だ。ヒューラはそんなシャルを見て、小首を傾げた。
「…シャル? どうしたんだ? 俺は一体…」
 ヒューラはおずおずと手を上げて、シャルの目尻に溜まった涙を拭った。彼はそのヒューラの手を取って、頬を摺り寄せた。
「シャ、シャル!?」
 驚きうろたえたヒューラに向かって、シャルはにっこりと微笑んだ。すみれ色の瞳が、暖かくヒューラをとらえる。

「言いたいことは沢山あるんだ。でも、まずはこれを言わなくちゃ。僕は君の手も髪も、君の事も大好きだよ」

END

あとがき

> [2006/10/08] > [2009/01/31 加筆修正] > [2016/04/03 加筆修正]

「妖精の輪舞」は「ようせいのりんぶ」と読んでも「フェアリー・リング」と読んでも構いません。お好きな方でどうぞ。
妖精の輪舞に一晩中参加してしまい足が擦り切れてしまったとか、そのまま"美しい国"へ連れて行かれてしまったとか、妖精の輪舞を目撃してしまっただけで気が狂ってしまうとか、本当に妖精の輪舞は美味しいネタですよね。
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