ご注意
- 旅人×村の男
- 古代(ケルト)/人外/切ない/性描写・少/ハロウィン企画
- ハロウィン企画。性描写はほとんどありません。何とも表現しがたい話です。
- 書きたかったのは、言い伝えられた世界です。失敗気味。
- 原稿用紙およそ9枚
- 苦手な方は、お戻りください。⇒TEXTTOP
太陽は死の闇に沈んだ。今日の夜は特別な夜だ。昨日と今日。去年と今年。そして死者と生者。全ての境界が曖昧になるとき。
村では祭りが行われる。死者へ祈りを捧げるために。気を付けなければならない。この夜、道を歩いているのは生きた人間だけとは限らないのだ。
ヤシトは、微かな物音にまどろみから目覚めた。寝台に起き上がり外を見ると、いつから降り始めたのか、しとしとと降る雨が木々を濡らしている。季節には白い花をいくつもつけて目を楽しませてくれるサンザシの木が、雨粒に閉じ込められて重たく枝を伸ばしていた。
トン、トン、トンと戸が叩かれた。ヤシトをまどろみから引き離した音だ。
彼はまだ少し眠気を残したままふらふらと立ち上がり、戸を開けた。冷気が、微かな滴とともに部屋に流れ込んだ。
外に立っていたのは、若い男だった。
「雨宿りさせていただけませんか。」
男はそう言った。
「急に降り出して。」
「それは大変でしたね。どうぞお上がり下さい、何のおもてなしもできませんが。」
ヤシトはそう男を招き入れた。
男はスッと音もなく部屋に入った。身の丈はヤシトとさほど変わらないが、体が薄いのか小さな印象を受ける。
男は部屋の中を見て、「もしかしておやすみ中でしたか。」と頭をかいた。
「いいえ、平気です。」
そう答えながら、ヤシトは椅子をすすめる。男は濡れたマントを脱ぎ、すすめられるまま暖炉近くの椅子に腰かけた。ヤシトは暖かいスープを出した。男は礼を言って受け取る。
「あなたは祭りへは参加しないのですか。」
男は匙でスープを掬いながら問うた。
「そのおかげで、私は雨宿りの宿をお借りすることができましたが。」
ヤシトは肩をすくめて見せた。具合の悪かった彼は、途中で祭りを抜け出したのだった。
いま暖炉で煌々と燃えている炎は、祭りの篝火から貰い受けた火だ。祭りでは、屠殺した牛の骨が篝火に投げ込まれる。篝火は燃え上がり、その周りでドルイドたちが踊る。村中の火は一度消され、篝火から各家庭の暖炉に火が灯される。村の各家庭は、共通する炎によって繋がるのだ。
「そういう貴方は、祭りの夜にどちらへ。」
ヤシトは言った。カップを膝の上に置く。
「ずっと遠くへ。」
男が答える。
「こんな日に?」
ヤシトは目を見開いた。それを隠すように立ち上がり、男の分もカップを差し出す。男は再び礼を言って、カップを受け取った。微かに触れた手が氷のように冷たい。
きっと、雨に打たれていたからだろう。そう自分に言い聞かせながらも、僅かな不安が首をもたげる。
「ええ、こんな日に。」
「けれども、」
ヤシトは食い下がった。心の中では、こんな夜に見知らぬ男を家に招きいれてしまったことを、後悔し始めている。
「けれども、今日は【見えない国】の住人達がやって来る日だ。」
「【見えない国】の住人、ですか。」
男はうっすらと笑みを浮かべた。
「ええ。【見えない国】は、【とても美しい国】だといいます。」
「ほう、では彼らは何故やって来るのでしょうね?」
男は笑みを崩さない。僅かに歪められた口元に、妙な色香がある。
「分かりません。しかし、彼らは人間を攫って行ってしまいます。」
ヤシトは、そこで言葉を切った。それから、男に気づかれぬようそっと口内に溜まった唾を飲み込んで続ける。
「あの、失礼ですが、どちらから…」
言葉の途中で、ヤシトは口を噤んだ。男が声を立てて笑ったからだ。
「いや、失礼。どうやら、あなたは私を死者か妖精だとお疑いのようだ。」
ひとしきり笑った後、笑いを押さえた男はそう言った。ヤシトは黙って男を見つめる。
「私はずっと遠くから来たのです。」
「ずっと遠く。」
「ええ、ずうっと遠く。そこでは一年中花は咲き誇り、鳥はさえずり、穏やかに小川が流れます。」
「素晴らしい所なのでしょうね。」
と、ヤシトは言った。膝の上のカップを持ち上げるが、カップの中のミルクはすでに無い。
「そう、【とても美しい国】です。」
男はまた笑みを浮かべた。それから、スープ皿とカップをテーブルの上に置き、そっとヤシトに近寄ってその手を取った。
「図々しいお願いですが、今晩はこちらに泊めていただけませんか。」
男は笑う。
「もちろん、お礼はいたします。」
「良いですか?」と目の前で微笑まれて、ヤシトは男の目に釘付けになった。吸い込まれそうな色だ。すみれ色の瞳が、映りこんだ自分の姿さえ見えるほどの至近距離で揺らめく。
男の手がヤシトの膝にかかる。冷たい手の平は、そのまま脛を滑り降りた。ヤシトとて男であるから、その意味が判らぬわけではない。けれども、この怪しい男を信用してもいいのだろうか。
男が微かに唇を開いた。その奥にちらりと赤い舌が見えた瞬間、ヤシトは頷いていた。男は笑みをますます深くして、「ありがとう」と囁いた。
雨がまた降り出したのか、水滴が屋根を打つ音が聞こえる。
ヤシトは寝台の上に起き上がり、ぼんやりと外を見た。
「何の木ですか。」
隣で横になったままの男が聞いた。ヤシトが何か答える前に、相変わらず冷たい手が伸びてきて、ヤシトの腰に絡みついた。手は腰を撫でていたかと思うと、背中を駆け上り、肩と首を撫で、また背中を滑り落ちる。
「あれはサンザシです。」
ヤシトが答えれば、男はやっと身を起こした。ヤシトと同じように窓から外へ視線をやって、うっすらと微笑む。
「本当に? サンザシにしては、葉の形が鋭いようですが。」
「そうだろうか。」
ヤシトは戸惑った。サンザシとは、あのような形の葉をしてはいなかっただろうか。季節になれば、一面に白い花を咲かせて…。
「少し見に行きましょうか。本当にサンザシかどうか」
男の誘いに、ヤシトは躊躇った。
「だけど、雨が降っています。」
「すぐそこですよ。それに、冷えたのならまた暖めあえばいい。」
「けれども…サンザシの木には魔力が宿るという。」
「だからこそ。あれが本当にサンザシかどうか、確認した方がいい。」
男はさっさと身支度をして立ち上がる。ヤシトも慌てて身支度を整え、男の後を追った。
入り口から外に出て裏に回る。幾分大きな雨粒が、ヤシトと男のマントに包まれた体を冷たく打った。
例の木の下にたどり着く。男は手を伸ばして、木の葉を取った。ヤシトはそれを若干の恐怖と戦いながら見た。
ハロウィンの夜は、サンザシの木に近づかない方が良い。メイデイやミッドサマー、そしてハロウィンの夜にこの木の下に座っていると、【見えない国】へ連れ去られるという。
男はその話を知らないのだろうか。だから、祭の夜に、彼らの国と我々の世界との区別が曖昧になるこの夜に、何の魔よけも待たず外を歩けるのだろうか。
ヤシトは男の肩越しに、木の葉を見た。見覚えのある縁がギザギザした葉だ。やはりサンザシの木だろう。
「やはりサンザシのようだね。」
「そう、これはサンザシの木だ。」
ヤシトが男に言うと、男は振り返ってそう返した。どういうことだろう。自分であれは本当にサンザシの木かと問うておきながら、まるで男は最初からそれがサンザシの木だと疑っていなかったようだ。顔には相変わらず、うっすらとした微笑。髪についた雫が、それを艶っぽく彩る。ヤシトはそっと、すみれ色の瞳から視線を逸らした。
「もういいだろう。早く、家に…」
ふいに、男がヤシトの腕を掴んだ。寝台の上で見たのと同じ距離に、すみれ色の瞳がある。
ちゅ、と唇を吸われて、ヤシトは真っ赤になって男を突き飛ばした。男はふらつくように一歩下がったが、相変わらず笑みを浮かべている。眩暈がした。ヤシトは、腰が抜けたようにサンザシの木に凭れ掛かり、そのままずるずると崩れ落ちた。
「失礼、驚かせるつもりはなかった。」
男がヤシトの隣で片膝を突いて屈み、囁いた。
「平気ですか?」
男は笑う。笑いながら、ヤシトの肩をサンザシの木に押し付け、覆いかぶさってくる。
ヤシトはうっすらと首を横に振った。
その顎を捕らえられ、唇を合わされる。今度は先ほどのように触れるだけではない。
「…ん、ふ、っう…は」
ヤシトが吐息を漏らすと、男はそっと唇を離した。
「私の国へ、一緒に行きましょう。」
男は美しい顔で微笑む。サンザシの木と男の間に閉じ込められた格好で、ヤシトは男の顔を見上げた。至近距離ですみれ色の瞳が揺らめく。
こんなに大きな男だっただろうか。部屋に入ってきたときは、私よりも小さな印象を受けたのに…。
「良いでしょう?」と再び口付けられて、ヤシトは体の力を抜いた。自分がどう答えても、男は自分を【彼の国】へ連れて行ってしまうだろうと分かったのだ。
太陽は、死の闇から再生した。祭りは終わった。新しい年は、もう始まっている。
人々は日常の生活に戻ってゆく。昨日と今日。去年と今年。死者と生者。曖昧だった区切りは、もはやはっきりと区切られた。門は閉じた。【見えない国】の住人は、そっと彼らの国へと戻っただろう。それぞれの収穫物を携えて。
END
> [2006/10/31] > [2008/04/02 加筆修正] > [2009/02/07 加筆修正] > [2016/05/04 加筆修正]
今回はハロウィンネタ。妖精の国は何度でも書きたいネタですよねー。
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