うつくしいたま(へびへのよめいり)

起点

 あるところに、達吉という若者がおりました。達吉はいたって普通の若者でしたが、ある日、父親が交わした約束を守るために、白牙という白蛇の化身に嫁ぐことになったのです。
 白牙の棲家は、達吉が住んでいた村の近くを流れる川を、うーんと遡ったところにある淵にありました。淵の中にあるなんて、皆さんびっくりされるかもしれません。達吉も、最初は驚きました。蛇である白牙はともかく、普通の人間である達吉には、水の中で生活なんてできません。しかし、そんな心配は無用でした。白牙が何やら呪文を唱えますと、不思議なことに達吉は水の中でも陸上と同じように動けるようになったのです!
 白牙の棲家は、まるで神社のような屋根をした家でした。部屋の中は暑くもなく寒くもなく、また水もなく、まるで陸上みたいな場所でしたので、達吉は安心してそこで暮らすことにしたのです。


 達吉は日中、屋敷の側に作った畑で働いております。屋敷は淵の水底にありますから、そのすぐ側にある畑ももちろん水の中にあるわけです。キツネや虫に畑を荒らされる心配こそありませんが、今度はカニやら好奇心の強い魚やらが時々やってきては、畑の作物をたわむれに齧ってゆくのでした。そのため達吉は、毎日、畑を荒らそうとするカニや魚を追い払い、日当たりを気にしてはどこで何を育てるかと頭を悩ませるのでした。幸いなのは、日照りの心配をする必要がないことです。なにせ水は辺りいっぱいにあるのですから。
 その日も達吉は、いつも通り畑を耕し、列になって植わった水菜に絡まった小魚を逃がしてやり、いい汗を流しておりました。
 一休みしようと、畑の傍らの石の上に達吉が腰をおろした時のことです。達吉の視界の端に、何やら光るものが映りました。

「なんだ?」

 もとより好奇心旺盛な達吉です。持っていた握り飯をひとまず置き、達吉はその光るものに近づいてみました。よくよく見てみると、それは一握りほどの大きさの石のようでした。しかし、石についたヒビからは光がこぼれています。驚いた達吉は、その石を…

 持ち帰ろうと懐に入れました。

 慌てて手放しました。























持ち帰るコース

 驚いた達吉は、その石を持ち帰ろうと懐にいれました。白牙に聞けば、何かわかるかもしれません。何せ彼は、この淵の主なのですから。

「よーし、ちゃっちゃとご飯食べて、残りの作業を終わらせるかー」

 達吉は気合いを入れて、握り飯を取り上げたのです。

◇◆◇

 木々の合間からこぼれた夕日が淵の水面にゆらゆらと揺れる頃、達吉はその日の作業を終わらせて、白牙の待つ屋敷へと戻りました。
 白牙は昼間はたいてい屋敷の一番奥の部屋で眠っていて、夜になると起きだして達吉の帰りをまっているのですが、この日は少し違いました。いつもなら玄関の傍で待っているはずの白牙の姿が見えません。不思議に思った達吉は、白牙がまだ寝ているであろう、一番奥の部屋へ近づきました。達吉はその部屋を覗いたことがありません。何故ならこの屋敷へやってきた日、決して覗いてはいけないと白牙がしつこいほどに念を押していたからでした。

「おーい、白牙? 腹でもこわしたのか?」

 中から返事はありません。けれども、何かがごそりと動く気配がしました。

「白牙ー? いないのかー?」

 ごそり。

「はーくーがー。いるなら返事しろよ!」

 短気な達吉が、声を荒げた時でした。

「達吉か…? 今日は少し具合が悪い、すまぬが夕餉は一人で食べてくれ」
「何だ、いるんじゃねーか。さっさと返事しろよな。って、今にも死にそうな声だぞ、大丈夫か?」
「あ、あ…平気だ」
「いや、全然平気そうじゃねえって。おれ、看病とかした方がいいか?」

 心配した達吉は、戸を開こうとしましたが、それを察したのか白牙は声を荒げてそれを拒否しました。

「いらぬ! いらぬゆえ、気にしないでくれ」

 一瞬、達吉の目が大きく見開かれ、動きが止まりました。けれども、そのすぐ後に、達吉は勢いよく戸を開け放ち、

「てめー!! 人の好意をいらねえだと!!! 調子に乗りやがっ…て……って、アレ?」

 達吉は戸惑いました。部屋の中に白牙の姿はありませんでした。代わりに、一丈はあろうかという一匹の大蛇がとぐろを巻いて勝手な侵入者、つまり達吉を睨みつけているばかりです。
 達吉は何度も目を瞬かせましたが、やがて合点がいったように手を打ちました。

「白牙か?」

 指さして尋ねれば、大蛇はこくりと頷いて、白牙の声で「覗くなと言っただろう」と呟きました。

「それは悪かったって。で、なんだってそんな姿になったんだ?」
「それは…」

 白牙は少し言いよどみましたが、達吉が目の前で可愛らしく首を傾げると、観念したように話しだしました。簡単に話せば、こういう訳でした。

 白牙は【たま】を持っていました。その【たま】は、ことさら美しく、また白牙にとって重要なものでありました。というのも、その【たま】は蛇神ならば誰しもが持つもので、彼らがただの蛇ではなく、その地域一帯の主であることを示す証でもありました。その【たま】には、白牙の力が長い年月をかけて蓄えられており、白牙はその力を使って、人間の姿に化けるのでした。
 ところが白牙は、昨夜のうちにその大切な【たま】を失くしてしまったのです! そのため彼は、蛇の姿のままでとぐろを巻いていたのでした。

「はああ、そんな大切なもの、どうして失くすかなぁ」
「気づかぬうちに、袂から落ちたらしいのだ。小さなものゆえ、どうにも…」

 白牙は長い体で達吉の周りを取り囲むように横たわりました(もっとも、達吉にそう見えただけで白牙自身は起き上がっているつもりかもしれません)。目の前に投げ出された艶やかな鱗を達吉はじっと見つめておりましたが、白牙の「どうした?」という問いかけに、はっとしたように視線を逸らしました。

「達吉?」
「何でもない。それより、どうすんだよ?」
「ふむ。ひとまず、その【たま】を探さねばならぬ」
「ふーん…それって、どんなものなんだ?」

 達吉はやはり白牙と視線を合わせぬまま問いかけます。不審に思った白牙は、そろりと長い体を動かして達吉との距離を詰めました。

「どうしたのだ、達吉。らしくないではないか」
「う…なんでもない」
「なんでもないのならば、こちらを向いてはどうだ」
「なんでもないってば、あんまり近づくなよ!」

 達吉は慌てたように、白牙の頭を押しました。けれども白牙は、その体を使ってしゅるしゅると達吉をからめ取ってしまいます。

「それが何でもない者の反応か、達吉」
「ちょ…やめ」

 白牙の冷たい鱗がひたりと触れます。白い鱗は滑らかで、痛みは与えません。そのかわり別の感覚が湧き上がって来て、達吉はぶるりと体を震わせました。
 それにつられたのか、白牙が赤く細い舌で達吉の首筋をチロリと舐めあげますと、達吉は顔をまっかにして逃れようと身をよじりました。
 その時でありました。達吉の懐からころころと転がり出た物があります。はっとして、白牙は鱗に覆われた白い顔を、達吉は真っ赤になった怒り顔を、それに向けました。

「あ」

 達吉は声をあげました。それは、昼間の畑仕事の間に達吉が拾ったあの不思議な石でありました。これまで白牙の落し物に気を取られてすっかり忘れていたのです。

「そうだよ、昼間こんなの拾ったんだよ」

 達吉は言いながらその石を拾い上げ、白牙の顔の前に示しました。

「それは…」

 白牙はなんだか驚いた顔をして達吉を見て、それからおもむろにその石をぱくりと銜えました。
 するとどうでしょう!
 白牙の体が急に光り出し、達吉は目を開けていられなくなりました。やがて光が納まって、達吉が恐る恐る閉じていた目を開けると、そこには人間の姿をした白牙がいるではありませんか。そう、達吉が拾ったあの石は、白牙の大切な【たま】だったのです。

「え、え?」

 焦って言葉をもらす達吉に、白牙は嬉しそうな顔で抱きつきました。

「ありがとう、達吉。お前が拾っていてくれたんだな」

 礼を言われても、達吉はそれと知っていて拾ったわけではありません。なので達吉は困ったように眉を寄せましたが、白牙はそれに気づいているのかいないのか、腕にますます力を入れて達吉を抱き寄せました。

「白牙…」

 達吉は思わず声を漏らします。
 白牙は鱗のように白い手を達吉の顔に添え、そっとその唇を吸いました。

「…ん」

 達吉が微かに息を零すのと同時に、白牙の熱い舌がするりと侵入して彼のそれを捕えました。達吉は目をぎゅっと閉じて、白牙の着物の袖を握りしめました。その手がねだるように着物を引くものですから、嬉しくなった白牙は唇からギュッと閉じられた瞼へと自らの舌を移動させたのでありました。
 あとはただ、熱い時間が待つばかりです。

 これにて幸せなふたりのお話はおしまい。

たま【玉】...大理石など、つややかな肌触りを持つ美しい石。

END

あとがき

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手を放すコース

 驚いた達吉は、その石を慌てて手放しました。石の中で何が光っているのか気になりましたが、何やら関わってはいけぬ気がしたのです。なにせここは、人間である達吉には分らぬ世界なのですから。
 達吉は頭をぶるぶると振って、今見た石のことは忘れようとしました。そこで、

「よーし、ちゃっちゃとご飯食べて、残りの作業を終わらせるかー」

 気合いを入れて、握り飯を取り上げたのであります。

◇◆◇

 木々の合間からこぼれた夕日が淵の水面にゆらゆらと揺れる頃、達吉はその日の作業を終わらせて、白牙の待つ屋敷へと戻りました。
 白牙は昼間はたいてい屋敷の一番奥の部屋で眠っていて、夜になると起きだして達吉の帰りをまっているのですが、この日は少し違いました。玄関の傍で達吉の帰りを待っていたのは、いつもの白牙ではなく、一丈はあろうかという白い大蛇だったのです。

「…白牙?」
「おー、おかえり、達吉」

 驚く達吉をよそに、その大蛇は白牙の声で言いました。

「今日は常より遅いではないか。疲れはしなかったか」

 達吉は目をぱちぱちとさせ、それからコクンと頷きました。

「そうか、あまり張り切りすぎるなよ」
「うん…っていうか、白牙、だよな?」

 大蛇…白牙は鷹揚に頷きました。それで少し安心した達吉は、とりあえず夕餉を食べることにしたのです。
 達吉が手早く夕餉を作り、それを食べている間、白牙はとぐろを巻いて何やら考え込んでいるようでありました。それが気になった達吉は、片付けなどが終わるとすぐに白牙の側に座り込み、その姿は一体どうしたのかと問いました。

「それは…」

 白牙は少し言いよどみましたが、達吉が目の前で可愛らしく首を傾げると、観念したように話しだしました。簡単に話せば、こういう訳でした。

 白牙は【たま】を持っていました。その【たま】は、ことさら美しく、また白牙にとって重要なものでありました。というのも、その【たま】は蛇神ならば誰しもが持つもので、彼らがただの蛇ではなく、その地域一帯の主であることを示す証でもありました。その【たま】には、白牙の力が長い年月をかけて蓄えられており、白牙はその力を使って、人間の姿に化けるのでした。
 ところが白牙は、昨夜のうちにその大切な【たま】を失くしてしまったのです! そのため彼は、蛇の姿のままでとぐろを巻いていたのでした。

「はああ、そんな大切なもの、どうして失くすかなぁ」
「気づかぬうちに、袂から落ちたらしいのだ。小さなものゆえ、どうにも…」

 白牙は困ったように言いましたが、鷹揚にとぐろを巻く外見からは困った様子は見受けられません。達吉は首をかしげました。

「困っているわけじゃねえの?」
「うむ…困っているといえば困っているのだが、どうもそう遠くないところにあるらしい」
「へえ、そういうの分るんだ」
「ああ。もっと遠くにあれば、こうして達吉と会話することもままならぬ筈だ」

 達吉はへえ、ともう一度呟きました。そんなに心配することじゃないのかなと納得すると、彼は大きく伸びをして、

「それなら明日、畑仕事をする時にでも気にかけておくよ」
「ああ、頼む」

 白牙はそう呟くと、するすると巻いていた体を伸ばしました。

「では、もう遅いゆえ、ゆっくり休むがいい」
「え?」

 達吉は驚いたように声をあげました。というのも、寝る時はいつも一緒だったからです。もっとも達吉が寝静まったあとに、白牙は屋敷を抜け出して食事をしているようでしたが。

「一緒に寝ないのか?」
「達吉…お前、私の姿が怖くないのか」

 白牙は神妙にそう尋ねましたが、達吉は何故白牙がそんなことを問うのか理解できぬというふうに、小首をかしげて見せました。

「どうして? 奇麗な鱗じゃないか」

 達吉はそう言うと、そっと白牙の鱗を撫でます。白牙はぴくりと体を震わせました。それから、その白い鱗で覆われた体でくるりと達吉の体を絡めとりました。達吉は少し驚いたようでしたが、なにも言わずに静かに座っておりました。
 白牙はちろちろと赤い舌を出して、達吉の頬を舐めました。達吉はくすぐったそうに目を細めます。

「気持ち悪くないのか?」
「平気だって言ってるだろ」
「そうか」

 白牙は嬉しそうに言って、更に力を込めて達吉を抱きしめました。達吉が白牙の体に手を伸ばし、そっとその鱗を撫でますと、白牙の体はするすると達吉の着物の裾をわって柔らかな素肌に触れました。ひんやりとした滑らかな鱗に、達吉は微かに息を吐き出しました。
 あとはただ熱い時間が待つばかりです。


 翌朝、達吉はゆらゆらと差し込む光で目覚めました。
 だるい体を何とか動かして布団から出ますと、白牙はやっぱり大蛇のままの姿で、枕元にとぐろを巻いておりました。

「おきたか、達吉」
「うん…おはよう」
「ああ、おはよう」

 達吉は伸びをひとつして、からりと障子を開けました。屋敷の外では、水中に差し込む光の中を魚たちが元気に泳いでいます。その様子を見ていて、ふと達吉は昨日の不思議な石を思い出しました。

「白牙、白牙の【たま】って、石みたいなやつか? 隙間から光が零れてるやつ!」

 振り向いて問いかければ、白牙は頷いて言いました。

「その通りだが、知っているのか?」
「ああ!」

 達吉は嬉しそうに返事すると、白牙の前にしゃがみこんで、

「すぐに取ってきて、俺が人間の姿に戻してやるよ!」

 これにて幸せなふたりのお話はおしまい。


たま【玉】...大理石など、つややかな肌触りを持つ美しい石。

END

あとがき

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