1.変態注意報
おしなべて、この世の人間は2種類に分けられる。運が悪い人間と、そうでない人間だ。そして菅田幸博君は、明らかに前者である。道を歩けば犬に吠えられ、限定販売のゲームは彼の直前で売り切れる。高校入試の国語の試験は、彼のよく解けた箇所が試験問題漏洩のおそれがあるとして削られた。どれもこれも彼が悪いわけではない。ただ運が悪いのだ。それでも彼は世間の荒波を乗り越えて、念願のハウスキーパーになることができた。
彼は今、我が身の不運を呪っている。
彼は現在、2つの家を担当しているが、今日から新たに久志(ひさし)家を担当することになった。主人の名前は久志浩司。25歳、独身。職業はファンタジー小説作家。柔らかな色合いの髪と、優しげな風貌を持った男性である。玄関まで出迎えた久志浩司氏を見て菅田幸博君は、歳も近いしうまくやっていけそうだと思った。しかし、やはり菅田幸博君は不運な人間なのだ。
繰り返すが、彼は今、我が身の不運を呪っている。
数分前、彼は1階の掃除を終え、2階に取り掛かった。久志氏の仕事場である書斎を避け、1番遠い場所にある部屋に向かう。久志氏の説明によれば、そこは現在使われておらず物置になっているらしい。さぞかし掃除のしがいがあることだろう。そう思って鍵を差し込んだが、意外にも部屋の中にそれほど埃は溜まっていなかった。
久志氏が掃除したんだろうか? 説明ではそんなことは言っていなかったけど…。
疑問に思いながら、箒をかける。菅田幸博君は「箒は日本人の心」だと考えているので、よほど広いスペースを掃除するとき以外は箒を使うようにしているが、しかし、やはりフローリングは箒では掃除しにくいというのが本音だ。だがそれはまだまだ経験が浅いからで、いずれ箒一本でどんなところでも掃除できるようになってやるというのが、目下の菅田君の野望である。
床を掃きながら彼はあることに気づいた。埃が溜まっていないように見えるのは一部だけで、そうでないところがあるのだ。獣道のように、ドアから部屋の奥のダンボール箱が詰まれた一角へ、埃のない道が続いている。誰かが通っているのだ! 少し驚いたが、物置なのだから物を取りに来ても不思議ではない。不思議ではないが、埃の溜まり具合を見るに、その埃のない道は割りと頻繁に人が歩いているが、それ以外のところは少なくとも1年は誰も歩いていない。つまり、その段ボール箱の一角にしか用がないということである。
そんなに使うものなら、外に出しておいた方がいいんじゃないか?
そう考えながら何気なく段ボール箱を覗いて、菅田幸博君は凍りついた。箱の中には…セーラー服、ブレザー、ナース服、メイド服、浴衣、チャイナドレス、レースクィーン、OLファッション、バニーガール、巫女さん、チアガール、軍服、などなど、ありとあらゆるコスプレグッズが詰められていたのだ!すべてミニスカート仕様である。そして更に、菅田君は嫌なことに気づいてしまった。
………なんかコレ、サイズ大きくないか?
そう、普通の女性がコスプレするにしては、サイズが大きいのである。体格の良い菅田君でも着られてしまうサイズのコスチュームばかりだ。この屋敷の主である久志浩司氏はどちらかというと細めで、これではサイズが合わないだろう。
菅田幸博君はしばらくの間固まっていたが、何処からともなく聞こえてきた小鳥の鳴き声で我に返った。無言でコスチュームをしまい、箒を手にする。習慣で身体を動かしながら、頭の中には久志氏に対する僅かな不信感とその担当になってしまった自分の不運を呪う言葉が溢れていた。
END
あとがき
変態お題その1。
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2.手に負いたくない
菅田君が久志家の担当になって2ヶ月。菅田幸博君と久志浩司氏はだいぶ打ち解けてきた。
久志氏は、菅田君をとても気に入っている。菅田君は何事に対しても真面目で真剣だし、素直である。何より料理が美味しい。いつもにこにこ笑顔が絶えず、こちらまで元気になる。安心して家のことを任せることが出来る。悩んだけれど、やはりハウスキーパーを頼んで良かった。ただ、彼にはこの家のサイズが少しばかり小さいようであることと、時折僕のことを不審そうに見ることが心配だと言えば心配だ。
菅田君も、久志氏をとても気に入っている。久志氏は何事に対しても穏やかで優しいし、気さくである。何より色んなことを教えてくれる。いつも優しげな笑顔が絶えず、こちらまで温かな気持ちになる。はりきって家の仕事をしようと思う。悩んだけれど、やっぱりこの仕事を引き受けて良かった。ただ、俺にはこの家のサイズが少しばかり小さいことと、あの物置になっている部屋の段ボール箱の中身が気になるとういえば気になる。
菅田君は、初日に抱いた不審をずっと隠しながら働いていた。本社にも相談していない。雇い主の趣味に口を出すのはルール違反だし、何よりプライバシーの侵害だ。それに久志氏は、そのことを除けば素晴らしい人物じゃないか。要するに菅田君は、この件をなかったことにしようとしているのだ。何故なら、幼い頃からハウスキーパーに憧れていた菅田君としては、余計なことをいってクビになるのは避けたかった。
しかし、菅田幸博君はやっぱり不幸な人間なのだ。
その日菅田君は、久志氏が仕事場として使っている書斎を避け、2階の1番遠い部屋の掃除へと向かった。件の段ボール箱がある部屋だ。いくら不審なものが置かれているとしても、掃除しないわけにはいかない。菅田君は、箒とちりとり、水の入ったバケツと雑巾を持って、そうっと部屋のドアを開けた。
中を覗き込んで、菅田君は凍りついた。水の入ったバケツを落とさなかったのは、ひとえに菅田君の鍛え上げられたハウスキーパー根性のおかげだ。
そこには、書斎で仕事を、つまり子供に夢を与えるファンタジー小説を書いているはずの久志氏がいた。部屋の奥、段ボール箱が積み上げられた一角の前に立っている。手には、あのLLサイズのミニスカート仕様チャイナドレスが…。
やっぱり、久志氏のだったんだ!
菅田君はそう考えた。仕事なのだから声をかけて部屋に入れば良いのだろうが、何となく入りづらく感じた菅田君は、そのままドアノブを握ったまま、チャイナドレスを持つ久志氏を観察した。
彼は菅田君に気づく様子もなく、手に持ったチャイナドレスをおもむろに顔に近付けた。
「ぎゃーーーーっっ!!!!」
それを見た瞬間、菅田君は悲鳴をあげて逃げ出した。もうバケツが落ちて中の水が零れるのも構わず、一目散に階段を駆け下りる。そのままエプロンも脱がずに、玄関のドアを開け放ち、外へ飛び出した。
変態だ、変態だ、変態だ、変態だ…!!
何があっても、そ知らぬふりで仕事をこなすのがハウスキーパーの鉄則である。けれども菅田君の頭の中では、そのフレーズがこだまし、他には何も考えられなかった。とにかく、妙なことには関わりたくなかった。
END
あとがき
変態お題その2。
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3.妄想を止めろ
菅田君が久志家に戻ってきたのは、彼が逃げ出してから2時間後のことだった。
冷静になって考えてみれば、菅田君のとった行動はハウスキーパー失格だ。久志家の担当を外されるのはもちろん、会社も解雇されてしまうかもしれない。しかし、あれを見なかったことにして何食わぬ顔で仕事を続けるには、菅田君はまだまだ若すぎた。
クビになるのは自業自得だし、とりあえず残った仕事を片付けよう。
菅田君はそう考え、とぼとぼと久志家に戻ってきた。久志氏は、仕事を放り出して急に逃げ出した菅田君を責めることも無く、暖かく迎え入れた。
ごめんね、びっくりしただろう? 久志氏は、食卓の椅子に腰掛けた菅田君の前にココアのカップを置きながら、そう笑った。初対面の時と同じように、爽やかな笑顔だった。
その笑顔を見た菅田君は、もう情けないやら申し訳ないやらで、黙って久志氏の淹れてくれたココアのカップに口をつけた。久志氏はそれを笑って見ている。
菅田君はその久志氏を見ながら、意を決し口を開いた。
「あ、あのう」
「なんだい?」
久志氏はにっこり答える。菅田君は、何だか自分が悪いことをしているような気になった。そもそも、雇い主の私生活に口を挟んではいけないのだ。
「あのダンボールは…?」
「ああ、あれはね。ごめんね、びっくりしただろう? 最初に説明しておくべきだったよ」
久志氏はそう言うと、立ち上がって菅田君を招いた。菅田君は少しおどおどしながら、久志氏の後について行く。久志氏は普段仕事に使っている書斎へ行くと、重厚なつくりのデスクの右下の引き出しから、1冊の本を取り出した。それを手渡され、菅田君はまじまじとその本を見た。
『危険なア・ソ・ビ12―専門職編―』
それがタイトルだった。菅田君は瞬きを繰り返し、ハテナマークを大量に浮かべた顔で久志氏を見た。
久志氏は黙って、作者の名前を指差した。
『作・久士泰』
「えっと、ひさし…ゆたか…?」
「そう。僕の本なんだ。それはペンネーム」
言われて、菅田君はぱらぱらと本を捲った。そして後悔した。本はコラムのようであったが、ところどころに入る挿絵が普通のコラムとは一線を画していた。全て、コスプレした男のイラストなのである。よくよく見てみれば、コラムのタイトルは「白衣のおとこ」やら「整備士に見る男気」やら「操縦士とストイック」やらである。
「えーと…?」
更に混乱して首を傾げる菅田君に、久志氏はにっこりと爆弾を投下した。
「実は僕、コスプレした男性を見るのが好きでね。こんな仕事もしているんだ。あのダンボールに入っているのは資料だよ」
何てことだろう!久志氏はやっぱり変態だったのだ!
菅田君は改めて我が身の不運を呪っていた。
END
あとがき
変態お題その3。
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4.警察を呼べ
その後、久志家をクビになることなく、菅田君はハウスキーパーを続けていた。
菅田君を支えているのは、あの衝撃の告白の日に久志氏が言った「やだなぁ。誰にだってコスプレさせたいわけじゃないし、普段は御伽噺ばかり書いているからね。心配しなくても大丈夫だよ」というセリフだけである。事実、普段の久志氏は相変わらず爽やかな笑顔で笑うし、何度か読ませてもらったファンタジー小説は、切なく胸に訴えかけるものであった。
菅田君は相変わらず箒を手にして、あの部屋の掃除に向かっていた。ダンボールの中身に関しては、なるべく気にしなければ良いだけのことだし、あれ以来、久志氏はダンボールを奥の方に仕舞ってくれた。
部屋の前まで来て、菅田君は首をひねった。いつもはきっちりと閉まっているはずのドアが、今日に限って開いているのだ。久志氏は出入りした部屋のドアを閉め忘れるような性格ではないし、菅田君にしても同様である。
菅田君は首をひねりながら、開いたドアから中を覗き込んだ。そして驚いた。部屋の中には、黒尽くめの男が立っていた。
「!!!」
誰だ!?
菅田君は動揺した。菅田君は今朝の10時に久志家に来たが、その間、客人は1人もいない。久志氏もそのようなことは言っていなかった。と、すると…。
菅田君は青ざめた。あれは、泥棒ってことじゃないか! どうしよう、警察を呼ぶべきか!?
菅田君はおろおろしながら、泥棒の顔をよく見ようとそうっと身を乗り出した。
男はまだ若いらしい。久志氏と同じくらいだろうか。肩にかかるくらいの長さの黒髪を後ろで束ね、目深に黒い帽子を被っている。季節外れの黒いコートの袖を捲り、手には黒い革手袋。明らかに怪しい。
男はゆっくりとダンボールの積まれた一角へ近づき、おもむろにその箱を開け始めた。どうやら何かを探しているらしい。
やがて男は、とあるダンボールの中を覗き込んでにやりとした。手をつっこみ、中のものをゆっくりと取り出す。それは、久志氏の副業の資料…つまり、あの特大サイズのコスプレグッズだった!
菅田君はますます混乱した。
変態? こいつも変態なのか?? 変態の泥棒???
菅田君はげんなりした。もう、驚いていいのか、呆れていいのか分らなくなっている。
と、菅田君の手にしていた箒が、ドアに当たってこつんと微かな音を立てた。菅田君は慌てて箒を抑えたが、時すでに遅し。男は振り向くと、すぐに菅田君を見つけ、近づいてきた。
「うわぁっ」
菅田君は声をあげて逃げようとしたが、男の方が僅かに早くその肩を掴む。
もう駄目だ!
菅田君が恐怖と諦めで目をぎゅっとつぶった時、
「何をしているんだ!」
久志氏の怒鳴り声が聞こえて、菅田君の体はそちらに引き寄せられた。
END
あとがき
変態お題その4。
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5.変態はお前だ
菅田君は閉じていた目を見開いた。久志氏が菅田君を庇うように抱き寄せて(もっとも、久志氏よりも菅田君の方が大きいのでそれは随分と不格好だった)、今まで見たこともないような恐ろしい顔で黒尽くめの男を睨みつけている。
「久志さん」
菅田君が呼びかけると、久志氏ははっとしたように菅田君を見上げた。
「大丈夫かい? 何か変なことされなかった?」
久志氏はひどく心配そうである。菅田君はびっくりして、「あ、はい、平気です」ともごもごと呟いた。
久志氏はその様子にほっと息を吐き出したが、すぐに再び男を睨みつけ、
「米田、一体どういうつもりだ!」
菅田君は目をみはった。どうやら久志氏と男は知り合いらしい。男は悪びれた様子もなく、久志氏に手を振ってみせる。
「いやあ、久し振りにこっちに来たからさぁ。お前に会ってから帰ろうと思って」
「それはいいが、菅田君に何をしたんだ」
「や、お前それは濡れ衣ってやつだよ。何もしてないって」
米田と呼ばれた黒尽くめの男は顔をしかめて抗議したが、久志氏はまだ疑い深く米田氏を睨みつけている。本当に何もされていないので、申し訳なく思った菅田君はそっと久志氏の袖を引っ張った。
「あの、本当になにもされていないので…」
「そうかい?」
久志氏は窺うように菅田君をじっと見つめた。久志氏にじっと見詰められた菅田君は、何故だかドキドキして顔が熱くなって、慌てて久志氏から顔をそらした。すると急に、久志氏の腕の中にいるという今の状況が恥ずかしくなった。
「あ、あの俺、平気なので」
そこでやっと、久志氏は菅田君を解放した。それから菅田君に向かって申し訳なさそうに笑ってみせる。
「ごめんね、びっくりしただろう? 彼は僕の学生時代からの友人で米田というんだ。怪しいけど根は悪い奴じゃないから、気を悪くしないでね」
菅田君は「はあ」と返事をしたが、慌てて米田氏のためにコーヒーを入れに台所へ向かった。
菅田君は普段お茶ばかり飲むので、コーヒーを入れるのは実は得意じゃない。それでも久志氏と米田氏は、おいしいそうにコーヒーを飲んでくれた。それを見た菅田君はほっと胸をなでおろし、それから、掃除の続きを行うために、あの例の部屋へ向かった。
部屋に入った菅田君は、なるべく段ボールの山を見ないようにしながら、掃除を始めた。だが暫くして、箒を動かす手が止まった。どうしよう、と一人つぶやく。
先ほどから久志氏の顔が頭を離れない。どうしてしまったんだと、菅田君は両手で顔を覆った。いや、菅田君も本当は気づいている。ただ認めたくないだけだ。どうやら菅田君は、恋をしてしまったようだ。その相手が男で、しかもファンタジー小説のみならず女装コラムを書く変態であったことを考えるに、やっぱり菅田君は不運な人間なのである。
END
あとがき
変態お題その5。
この後この二人がどうなるかは私にも分かりませんが、くっつくとすれば、きっと菅田君は時々女装することになるでしょう。うーん、萌えるね。
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