続・変態お題5

ハロウィン企画

 おしなべて、この世の人間は2種類に分けられる。運の良い人間と悪い人間である。そして菅田幸博君は間違いなく後者である。その菅田君は悩んでいた。それはもう、いっそ仕事をやめて田舎へ引っ込もうかと考えてしまうほどの悩みっぷりであった。
 話は1日前に遡る。いつも通り久志家に顔を出した菅田君は、ふと明日はハロウィンであることに気づいた。ハロウィンってなんだかファンタジーだよなと考えた菅田君は、この家の家主でありファンタジー小説作家である久志氏に話を振った。何気ない話題の1つである。久志氏は相変わらずにこにこと話を聞いていたが、菅田君が話し終わると少し首をかしげながら

「確かに僕もハロウィンをネタにして話を書くこともあるよ。でも、どうしてファンタジーだと思うの?」
「え、だって仮装とかするじゃないですか」

 今にして思えば、この一言が命取りであった。久志氏はこれ以上ないというくらい素敵に微笑んで、

「じゃあ、菅田君も明日は仮装してくれるかい?」
「えっ!?」

 菅田君は焦った。彼は今まで、久志氏が爽やか好青年の皮をかぶったコスプレ(しかも女装)大好き青年であることをすっかり失念していたのである!

「えっと、仮装グッズとか持ってないので」
「大丈夫! 僕が用意しておくよ」
「え、あのっ…」

 …こうして彼は、ハロウィン当日に仮装をすることになったのである。
 翌日の菅田君の気分は最悪であった。例の段ボール箱の中身が脳裏にちらつく。まさかあの中から選ぶんだろうか、いやいやまさか、自分は同じ年頃の男性の平均的な体格よりかなり大きいし、女装なんてしてもまったく面白くないというか、美しくないというか、だからきっと久志さんだって見たくないはず…っていうか自分が一番見たくないよ、女装した自分なんて。
 悩みながら、勝手口の鍵を開けて久志家に入る。虚ろな目のまま「おじゃましまーす」と声をかけ、荷物を食卓の上に下ろす。頭はまだ、久志氏が用意するという仮装グッズのことで一杯だ。
 でも、久志さんだからなぁ、変態だし、実は見たいのかもしれない。いや、でもいくら久志さんの頼みでも…あー、でも、あの笑顔に弱いんだよなぁ。あの笑顔で頼まれたらどうしよう、断り切れないよ。うーん、女装くらいいっかな? 別に死ぬわけじゃないし。断っても久志さんは怒らないと思うけど、一応雇い主なわけだし…。そうだよ、仕事だよ! 仕事と思えばいいんじゃないか!

「おっし! 男・菅田幸博、女装くらいさらりとこなしてみせる!」

 菅田君が盛り上がって右手を高くつきあげると、背後からぱちぱちと拍手の音が聞こえてきた。慌てて振り返ると、久志氏がにこにこと微笑みながら「良い意気込みだねぇ」と呟いている。
 菅田君は真っ赤になった。

「うわ、久志さんいたんですか。おはようございますっ」
「はい、おはようございます。菅田君、来て早々悪いけどほうじ茶を淹れてくれるかな?」
「わかりました!」

 久志氏は「よろしくね」と微笑んで、静かにキッチンを出て行った。菅田君は恥ずかしさで顔から火が出る思いだったが、気を取り直して、とりあえずお茶を淹れることにした。
 それからは掃除・洗濯などいつもと変わらない仕事が続く。今日が他の日と違うのは、夕食が豪華になることだ。菅田君も夕食に誘われていて、二人で食事をすることになっている。仮装するのはその時だ。少なくともその時までは普通の格好でいられる。菅田君は自分にそう言い聞かせて、熱心に仕事に取り組んで行った。もともと、自ら希望して就いた職業である。一度仕事を始めてしまえば、菅田君は時間が経つのも忘れて掃除し、洗濯し、布団を干し、おやつを作った。
 ふと気づけば、夕食を準備する時間である。菅田君は慌てて夕食に取りかかった。今日のメニューは贅沢にカボチャを使ったものだ。かぼちゃのはさみ焼きに、冷製パンプキントマトスープ、かぼちゃのコロッケ、そして少し迷ったが、メインディッシュには和風ハンバーグ。デザートにはかぼちゃのプディングを用意した(ちなみに言えば、おやつはかぼちゃのマフィンであった)。
 すべての準備を終え、菅田君はぐるりとテーブルの上を見回す。そして満足げに頷いた。自分ながら惚れ惚れするセッティングである。菅田君は小声で「よし!」と声をあげ、ガッツポーズを作った。
 それから、久志氏に声をかける。

「あのー、準備できましたよ」
「丁度こっちも終わったよ。これをファックスしてしまえば…」

 答える久志氏の声には疲れがにじんでいる。菅田君は少し心配になった。けれども、菅田君の心配をよそに久志氏はにこにこと実に楽しそうな笑みを浮かべて2階から降りて来た。

「はい、これ」

 そういって、何やらあやしげな包みを菅田君に手渡す。

「こ、これは」
「うん、仮装してくれる約束でしょ?」

 久志氏は菅田君の肩をぽんと叩いて、よろしくと言った。菅田君は内心冷や汗が滝のように流れていたが、澄まして分かりましたと答えた。日本男児たるもの、一度女装すると決めたからにはグダグダ言わないものだ。
 別の部屋に移動して、気合いをこめてえいやっと包みをはがす。何が出てきても自分は驚かないぞ! という意気込みである。しかし…

「あ、そういえば女装じゃないからねー。上級悪魔の仮装だよー」

 ドアの向こうから久志氏が思い出したように声をかけた。確かに、包みの中から転がり出てきたのはスカートではなく黒いパンツだったので、菅田君はそっと安堵のため息をこぼした。
 それにしても上級悪魔ってなんだ。菅田君は久志氏の用意した衣装をまじまじと見た。
 イタリアンカラーというのだろうか、大きめの襟のついた灰色のシャツに、濃い茶色のベスト、やたら派手な黒いジャケット。ネクタイは艶のない黒色である。そして何故か綺麗なドレープのロングコートまで一緒に入っていた。一緒に転がり出た角らしきものが付いたカチューシャはひとまず見なかったことにする。
 …これって、仮装グッズなのか?
 菅田君の疑問はもっともである。しかし、久志氏が仮装グッズと言い切るのならそうなのだろう。菅田君は観念して(だって、女装よりははるかに良い!)、着替え始めた。
 菅田君が久志氏の言うところの仮装グッズを身に着けて出てくると、久志氏は目を輝かせて言った。

「よく似合っているよ!」

 菅田君は恥ずかしそうに頭をかいた。カチューシャはつけていない。久志氏は気にした風もなく「ま、角はおまけだからね」と微笑んだ。
 あまりにも久志氏が眺めるもので恥ずかしくなった菅田君は、

「久志さんは仮装しないんですか?」

 と尋ねた。すると久志氏は笑って、「じゃあ来年は僕もするよ」と答えた。「僕も」ということは、自分は来年もしなくてはならないのかという疑問というか不安というかが心の中に浮かんだが、久志氏がとても嬉しそうに笑っていたので菅田君は良しとすることにした。
 それから二人で夕食をとった。久志氏はワインを飲んだことがない菅田君のために上等のワインを開けてくれた。

「いいんですか?」

 と恐縮する菅田君に、

「大人相手にお菓子じゃねえ。満足しなくてイタズラされても困るしね」
「しませんよっ!」

 久志氏はくすくすと笑った。
 菅田君も笑った。本当に楽しい夜だった。
 問題は、菅田君が飲み慣れないワインに逆に飲まれそうになっていた時のことだ。久志氏がずいと身を乗り出して、「ところでお願いがあるんだけど」と言った。

「なんですか?」
「んー、今してもらっている仮装と、もう一つどちらをしてもらおうか迷った仮装があるんだけど、そっちにも着替えて貰えないかな?」
「いいですよ」

 菅田君は深く考えもせず答えた。久志氏のいう仮装とはどうやら、本当に仮装というよりも普段しないカッコをすれば良いだけのようだと、菅田君は判断していた。久志氏の用意した服は普段菅田君が絶対に着ないような、高級っぽいものだったのだ。

「本当かい?」

 久志氏はとても喜んで、いそいそと2階から新たな包みを持ってきた。それを菅田君に渡して、その手を引いて立ち上がらせると、先ほど菅田君が着替えた部屋まで優雅にエスコートした。もっとも久志氏よりも菅田君の方が大きいので、それは少々不格好であった。

「じゃあ、よろしくね」

 ドアの向こうの久志氏の声に励まされて(?)、菅田君は包みを開いた。中から服を取り出して、目の前に掲げて広げる。そして固まった。
 それは黒いワンピースであった。腰のあたりがきゅっとなっていて、スカートにはふわふわしたペチコートが縫い付けられているのがぼわっと広がっている。そしてスカート丈は短めだ。胸元は紅いリボンがひらひらと飾っている。
 これを着ろと…?
 菅田君は両手で頭を抱えた。最悪だ。完全に油断していただけにダメージが大きい。おそるおそるワンピースを見直した菅田君は、包みの中に大きな黒いつばのついた三角帽子が入っていることに気づいた。魔女がかぶっているアレだ。
 …魔女っ子とかいうやつ!?
 嫌な予感がした菅田君に追い討ちをかけるように、ドアの向こうで久志氏が言った。

「ほら、菅田君っていつも箒を使っているでしょう。やっぱり、箒といったら魔女だよね!」

 今日ほど箒を使っていて後悔したことはない。菅田君は激しく落ち込んだ。
 けれども、いつまでもここに座っているわけにはいかない。ドアの向こうでは久志氏がわくわくしながら菅田君を待っている。いや、しかし…! 魔女っ子はまずいだろう…! 何がまずいのかは分からないが、とにかくヤバいんじゃないか。
 菅田君の頭の中では様々なことがぐるぐると廻り始めた。今、菅田君は激しく迷っている。着替えるか謝るか仕事を辞めるか…。
 しかし、結局のところドアの向こうでにこにこと笑いながら菅田君の登場を心待ちにしている久志氏の期待を裏切れそうにない辺り、やっぱり菅田君は不幸な人間なのである。

END

あとがき

「変態お題5」のふたりです。
淡い恋心を自覚しながらもくっついていない状況。コスプレ好き設定は、ハロウィンはスルーできませんよね、なお、久志氏はコスプレが好きなので、コスプレを脱がすことはしません。愛でるだけ。
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