散りゆくは薔薇か、あるいは
ライフィストが不機嫌になったのは、スランが薔薇の花束を持って現れたからだ。それは明らかなことだった。
しかし、当のスランはさして気にした風もなく、カウチに寝そべってパラパラと新聞をめくっている。めくっているだけで、読んでいるわけではなさそうだった。
スランが持ってき真紅の薔薇は、スラン本人の手で豪奢な花瓶に生けられた。スランが生けることになったのは、ライフィストがその薔薇に触れるのを固辞したからだ。彼は親の仇でも見るように、スランの手の中の花束を睨みつけた。
「おい」
「なんだ?」
不愉快さを隠そうともしない声音で呼びかけられ、スランは視線を新聞からライフィストへ向けた。
「いつまでいるつもりだ」
「アンタが俺にプレゼントをくれるまで、かな」
「何のつもりだ?」
「だって今日はバレンタインじゃないか」
スランはにっこりと笑った。満月ではない今日は、彼はどこから見てもまったく普通の人間のようであった。相変わらず紅い髪の毛を逆立てて、革のズボン・ジャケットを着ている。ライフィストは、それら全てが憎らしいとばかりに溜息をついた。
「どこぞの聖人の祝日を祝ってどうするつもりだ。神を信じてもいないくせに」
「そのどこぞの聖人だって神を信じてはいなかっただろうよ」
まるで人間のような狼男は、肩をすくめてみせる。
「起源なんてどうだっていいんだ。好きな人にプレゼントを贈る日、それでいいじゃねえか」
スランの言葉に、ライフィストは眉をしかめた。それから地を這うような低い声で吐き捨てた。
「好きだのなんだのというたわごとは捨て置くにしても、だ。なぜ薔薇なんて持ってくるんだ」
「アンタに似合いそうだったからさ。アンタ、薔薇は嫌いだったか?」
問いかけられた銀髪の吸血鬼は、無言で生けられた薔薇に手を伸ばした。花瓶の中から、みごとに開いた一輪を取り出す。薔薇は、窓から差し込んだ月光をサテンのような花びらの表面で反射させた。それは一瞬の美しさであった。次の瞬間、花びらは散り、ガクや茎は茶色く枯れてしまったからだ。
スランは目を丸くした。ライフィストは枯れてしまった花を無造作に放り投げて、言葉なくたたずむスランを見た。その顔に表情はない。
「触れもしないものをもらっても、どうしようもあるまい。おまけに花を愛でる趣味もないときてはな」
ライフィストは皮肉めいた笑みを浮かべた。その笑みに、ライフィストほど薔薇の似合う存在はないとスランは思う。薔薇は行く手を阻むものだ。門に絡みつき、茨の垣をつくり、そこを通り抜ける者に苦痛を強いる。どこまでも美しい花を咲かせるくせに、まるで手折られることを恐れるように触れられるのを拒む。棘のない薔薇も作られるようになったが、それらは牙を抜かれた狼のようにみすぼらしいものだ。
「…だから薔薇は嫌いだって?」
ライフィストは答えない。
「触れなくても、見るだけでいいじゃないか。アンタのために、血のように真っ赤な薔薇を探したんだぜ?」
スランのその言葉を、ライフィストは鼻で笑った。
「それこそ無意味だろう。本物の血でもあるまいに」
「そうかい?」
スランは短く吐き捨てて、ライフィストの手を取った。そのまま引き寄せれば、彼はバランスを崩してカウチに膝をつく。揺れた前髪に掠めるように唇を寄せて、スランは言った。
「血なら俺がいくらでもやるさ。花は花として愛でればいい。そうだろ?」
何かを紡ごうとしたライフィストの唇を、ぺろりと一舐めしてスランはおどけたように表情を崩した。
「どうせアンタ、プレゼントも何も用意してないんだろ? 今回はこれで良しとしておくよ」
もう一度、今度は深く唇を合わせる。まるで薔薇の花びらのようになめらかな感触を堪能しながら、スランはちらりと花瓶に生けられた花を見やった。
薔薇は静かに月光を浴びて、血のように紅く輝いていた。
END
あとがき
> [????] > [2016/06/12 加筆修正]
バレンタイン企画。ヴァルプルギスシリーズのおまけ話は、メイン話で使えなかった吸血鬼や人狼の特徴を拾っていこうという裏趣旨があったり。
会話の雰囲気は気に入っています。
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