ヴァルプルギスシリーズ:ハロウィン企画

血の香り

 完全に人狼化したスランを見るのは久しぶりだった。
 長く突き出た鼻、深く裂けた口、唇を押し上げる鋭い牙…。赤い逆だった髪の合間に埋もれた耳が、音を敏感に捕えて動く。吊り上がった目が、ギョロリと眼前の敵を睨みつけた。
 ライフィストはゆっくりと笑みを浮かべる。挑発するように。

「来いよ…スラン。遊んでやる」

 言い置いて、ライフィストはマントを脱ぎ、ステッキとともに放り投げる。黒いマントは弱くない風にはためいたが、ステッキの重さにつられるように地面に落ちた。落ちた途端、騒々しい羽ばたきの音とともに、マントは無数の蝙蝠となって夜空に飛び上がった。蝙蝠たちはキーキーと声を出して威嚇する。彼らの主の敵に向かって。中には、その鋭い爪でスランを引っ掻こうとする者もいる。
 スランは五月蠅そうに首をかしげると、一喝した。低く重たい叫びが、闇に響いた。
 蝙蝠達は再び元のマントに戻って地面に落ちた。

「やれやれ」

 ライフィストはため息をついた。
 その瞬間、スランが彼の懐目がけて飛び込んできた。後方に飛びのいてそれをかわす。しかし、ライフィストの動きよりも、赤い髪の人狼の動きの方が早かった。ぐんと腕が伸びて、ライフィストの胸倉を掴む。引き寄せられた先には、逆の手の鋭い爪。
 首筋の皮を切り裂いて爪が肉に潜り込む感触に、スランは大きな犬歯に押し上げられた唇を歪めた。

「まったく…」

 ライフィストはもう一度ため息を吐きだした。それから無造作にスランの首に手をかける。
 まったくもって久しぶりだった。完全に人狼化したスランを見るのも。自分の血で服を汚すことも。そして、戦いで本気を出すことも。


*****


「ん…」

 僅かな声が漏れたことで、ライフィストはスランの意識が戻ってきたことを知った。
 ライフィストは手元の本から、地面に横たわるスランへと視線を移した。横たわるスランの服は、あちこちが破れ血で汚れている。とくに胴体は、中心から真っ二つに切り分けたかのように切り裂かれていた。しかし服の隙間から見える体に傷はない。すでに治ってしまったのだ。

「気づいたのか」

 ライフィストは言葉をかけた。しばらくの間があって、スランが「ああ」と答えた。

「気分はどうだ」
「最悪だよ」
「フン」

 ライフィストは鼻で笑う。立ち上がった。彼はすでにマントを身に着けていたが、そのマントを揺らしてスランに近寄った。上体を起こそうとしたスランの肩を、足で踏んで倒す。それから傍らに屈みこんだ。

「おいっ!」

 スランの抗議を無視して、ライフィストは裂けた服の破れ目から手を差し入れた。するりと肌を撫でる。

「ふん、相変わらず頑丈なことだ」
「そりゃどうも」
「真っ二つにしてやったのに」

 ライフィストは面白くなさそうに呟いた。スランの肌は滑らかで、怪我の痕跡すらない。先ほどまで上半身と下半身とに切り分けられていたにも拘わらず、彼の体は再びくっついてしまった。
 銀髪の吸血鬼は舌打ちして、手に引っ掛かった布(もちろんスランの服だ)を爪で切り裂いた。もともと服としての形状を留めていなかったそれは、ただの布切れとなって地面に落ちた。
 スランは少し顔をしかめたが、何も言わなかった。ライフィストはそんな彼を気にした風もなく、羽織っていたマントを肩から滑り落とす。それから、おもむろにスランのベルトに手をかけた。これには流石にスランが慌てて、ライフィストの手を掴んだ。

「アンタ、何してんだ?」
「別に怪我もないんだろう?」
「そりゃそうだが…」

 言い淀んだスランの口を、ライフィストが自らのそれで塞いだ。すぐに温度を持たない舌が侵入して、口内を荒らしまわる。スランは陶然とその口づけを受け入れた。
 やがて唇を離したライフィストが、スランの耳元で囁いた。

「こっちは久しぶりに自分の血の匂いを嗅がされたんだ…」
「だから、付き合えって?」
「嗅がせたのはお前だろう」

 スランは肩をすくめて見せた。彼がつけたライフィストの首筋の傷からは、血は一滴もこぼれてはいない。ざっくりと切り裂かれた傷口が、黒く口を開いているだけだ。ライフィストのシャツやベストも、血で汚れることなく月光に浮かび上がっている。吸血鬼に血液などないのだ。けれども、ライフィストにはその血液が見えるという。見えるだけでない。その匂いまではっきりと嗅ぎとるのだ。

「血なんて出ていないじゃないか」

 スランがそう言えば、ライフィストは笑った。いつもの、冷たい笑みだった。

「お前には見えないんだな、スラン」

 それが最後の会話だった。
 スランはライフィストに促されるまま、彼の屋敷へ行き、地下室へ降りて、寝室で彼を組み敷いた。
 ライフィストは普段の彼からは想像もできないほど乱れた。スランの動きにあられもなく嬌声を上げ、すがりついて自分を組み敷く男の背に爪を立てた。自ら足を開くだけでなく、スランに跨りさえした。スランは欲望のままにつきあげたい衝動を何度も堪えなくてはならなかった。スランとは違って、ライフィストの体は非常に脆いからだ。

「あ、ぁ…っ…」

 掠れた声をあげて、ライフィストが半身を倒した。スランはそれを抱き止めて、彼の額に口付けた。ライフィストはくすぐったそうに眼を閉じた。それからすぐにスランの上から体をどかす。

「もう血の匂いはしないのか?」

 眠たいのだろう、傍らに横たわって目を閉じたライフィストに、スランが尋ねる。

「お前の血の匂いがする」

 ライフィストは簡潔に答えた。空気中にとけたスランの血の匂いを、まだ感じるのだろう。
 スランは笑って「飲むか?」と訊いた。ライフィストは首を振った。食事はしていないが、腹は減っていなかった。自らの首から迸った強烈な匂いに充てられたのだろう。吸血鬼にとって自分の血の匂いは、それほど重大な意味を持つ。
 それよりも今はとにかく眠りたかった。ライフィストは、スランの肩口に顔を埋めて目を閉じる。スランが何かを呟いたがライフィストは気に留めなかった。


*****


 ライフィストがスランの腕の中で眠ることは珍しい。
 スランは壊れ物を抱えるようにそっとライフィストを抱き寄せた。聞えるかすかな吐息に笑みをつくる。それから、その額に唇を落とした。

「Happy Halloween!」

 囁いて、スランも毛布をたぐりよせた。

END

あとがき

> [2008/10/31] > [2016/06/12 加筆修正]

ハロウィン企画です。
戦闘力でいえば、スランよりもライフィストの方が強いです。本来なら圧倒的にライフィストに分があるのだけど、彼はちょっと油断していたんですね。
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