江東の虎/なぐかぜ〜錯綜:前書き

ご注意

  • 相互リンクお礼ss(孫策×周瑜というか、周瑜→孫策と孫策→周瑜)
  • 実在した歴史上の人物でアレコレ考えちゃうのが苦手な方はご注意下さい。とはいえ、三国志にあまり詳しくない管理人の書く、三国志ssです。あまり期待しない方が無難です。
  • この話は、三国志サイトの「黒鉄の山椒魚」さまへ相互リンクお礼として書いたものです。リクエストはなかったのですが、かっこいい雰囲気を目指しました。
  • 苦手な方は、お戻りください。⇒TEXTTOP

黒鉄の山椒魚さまへ相互リンクお礼

江東の虎

 江東を颯爽と駈け抜けた虎の、美しさを忘れることはないだろう。
 あの毛並み。
 あの力強さ。
 烈々たる気性さえも、彼の美しさを増すものだった。



“公瑾”



 稀に聞く、少し甘さを含んだ声を思い出して、周瑜はぶるりと身を震わせた。
 それは、灼熱の時間の中でのみ聞くことが許された声であった。耳にした回数は僅かであったが、決して忘れ得はしない。
 何度、記憶の中のその声に縋っただろう。
 そうせずにはおれなかった自分を、今更ながらに嘲笑する。
 そうすることで、少しでもあの勇ましき虎を自分に繋ぎとめることができると考えていたのだろうか?
 周瑜はかすかに震える手で、笛子を取り上げた。戯れに、手の平の上で転がしてみる。
 その細い管に、息を吹き込む気にならない。いや、吹き込んではならないという気さえした。



 虎は天に飛び上がらんがために地に伏し、けれども飛び上がることなく去って行った。



 江東を颯爽と駈け抜けたのは、勇猛な虎であった。
 虎の足跡を追うのは、さぞかし大変であるに違いない。だが、周瑜を躊躇わせているのは、そのことではなかった。
 江東に臥したのは、烈々と燃え盛る炎のように烈しき虎であった。
 虎の最期はどうであったか。
 周瑜は人伝にしか、それを知らない。
 そのことが、彼に笛子を吹くのを躊躇わせた。



“公瑾”



 今はもう記憶の中でしか聞くことのできぬ声が、周瑜を呼ぶ。
 いや、周瑜が呼ばせるのだろう。
 勇ましい虎の爪痕は、じくじくと痛みを残す。
 例え広野に落ちた足跡が消えようとも、この爪痕は消えぬだろう。



“公瑾”



 声は更に呼ぶ。
 周瑜は、その声に励まされたように、そっと笛子を唇にあてた。


END

なぐかぜ〜錯綜

 風が凪いだのだ。
 それを吉兆ととるべきか、凶兆ととるべきか、孫策には分からなかった。
 風に途切れることなく耳に届いた周瑜の言葉を、酷く傷ついて受け止めている自分に気づいた時、彼は頭を垂れた。
 項垂れたのではない。崩れ落ちたのでもない。およそ彼ほど、この世の中で「打ちひしがれる」という言葉が似合わぬ男はいないだろう。孫策はただ、決めかねたのである。次の言葉を。それすらも闊達な彼にしては稀なことであった。

「公瑾」

 結局、彼は友人の名を呼ぶ以外に、言葉を見つけることは出来なかった。
 長年の友人、いや長年の友人だと思っていた相手は、孫策を見てその秀麗な顔に笑みを浮かべた。その眼差しは穏やかである。

「伯符さま、私は」

 周瑜がうっすらと口を開く。続く言葉を、孫策は待たなかった。

「公瑾」

 訪れる静寂。
 周瑜は、悲しそうに眉を寄せた。



 風が凪いだのだ。
 おそらく、それは歓迎すべきことではないと、孫策は直感した。
 途切れた風は、周瑜の言葉を隠すことなく運んでくる。彼は、その内容に少なからず傷ついている自分に衝撃を受けた。

「去 者 日 以 疎(さるものはひをもってうとく)  生 者 日 以 親(いきるものはひをもってしたし)…」

 周瑜は、詩を口ずさんでいた。彼が作った句か、あるいは昔からある詩を思い出しただけかもしれぬ。いずれにせよ、孫策には聞き覚えのない響きであった。
 その響きが、孫策を不安にさせる。
 孫策には許せないのである。死すらも自分を避けてゆくと考えている彼にとって、それは予感のようなものであったかもしれない。


 死者は日々縁遠くなり、新しく生まれてくる者は日ごとに親しくなって行く…


 おれが死ねば、公瑾はおれを忘れてしまうのか。
 そう考えた突端、孫策は憤った。この幼少の頃からの友人が、自分を忘れてしまうのが許せないのである。たとえその記憶が彼を苦しめようとも、死後も自分を覚えていてもらいたい。
 それは荒々しい願望であった。孫策にとって周瑜は、すでに友人などという言葉では括れない存在であったのだ。そのことに気づいて、孫策は懼れた。

「伯符さま」

 周瑜が、黙り込んで地面を睨みつけている孫策を呼んだ。

「この詩はお嫌いでしたか」
「いや、違うんだ。おれは…」

 周瑜は笑う。それから、いつもと変わらぬ声で言った。

「ご心配なさらないで下さい。私が伯符さまを忘れることはないのですから」

 孫策は頷いた。
 彼にしては珍しく、自覚した想いを整理できないでいる。



 風が凪いだのだ。
 それを吉兆ととるべきか、凶兆ととるべきか、孫策には分からなかった。


END

あとがき

> [2007/03/20]

・江東の虎
孫策の死後、周瑜の独白のつもりです。
個人的には「虎は死して皮を留め、人は死して名を留めん」という言葉をモチーフにして書くつもりでしたが、すでにMEMOにそんな話があるので控えました。それに、どちらかというと孫策は「江東の麒麟児」だし、龍とか麒麟とかに例えるべきなのかなぁと思ったり。

・なぐかぜ〜錯綜
もう1つが周瑜だったので、もう1つは孫策でいこう!と思って書いたものでしたが…難しいね、孫策。キャラクターがいまいち掴めません。
ちなみに詩は、古詩十九首から。私は「死」と「生」としましたが、おそらく様々な解釈のできる詩でしょう。詩を題材に話を書くのは好きなのですが、漢詩は唐詩ばかりしか知らなくて、三国志を書くときは正直困るんですよね。

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