優しく手を差し伸べてくれたひとがいた。
その手は大きく暖かく、私はそれだけで仏の存在を信じた。
幼い私には仏や阿弥陀如来の存在はひどく単純なものであった。何故ならこうして私に手を差し伸べてくれるこのひとこそが、私にとって仏であり、菩薩であり、阿弥陀如来であったから。
×××、お前の赤い髪は夕日のように美しいが、剃髪しなくてはならない。何故ならお前は、仏にお仕えするのだから。
あのひとはそう言って微笑んだ。延べた床の上で、青白い腕を持ち上げながら。
×××、×××、お前はこれから、燎真と名乗るがよい。いいかい、遼真、お前の髪は燃える炎のように美しい。それを忘れてはいけないよ。
あのひとの声は儚く、けれども凛として、あけぼのの空へ吸い込まれていった。
あのひとの言葉の、声の、そのひとつひとつが、私にとっては救いであり、光であり、仏であった。それは非常に美しい響きを持ち、今でも私の中で繰り返し繰り返し輝き続けている。
真の救いとは、形式の中にあるのでは無い。
仕草のひとつひとつ、言葉のひとつひとつ、行動のひとつひとつに仏は立ち現れ、そしてすぐに去って行く。さればこそ我々は救われ得るのである。
「行くところがなければ、おいで」
差し伸べた手は、あのひとほど大きくも暖かくもないけれども、ちっぽけな私がなし得る、ただ1つのことなのである。
真の救いとは形式にあらず。
仏は、私の仕草のひとつひとつ、言葉のひとつひとつ、行動のひとつひとつに立ち現れる。それは私がそう願う故なのだ。
END
あとがき
一周年記念のキャラクター投票で3位になったお礼に書きました。
掌編「生臭坊主1」のキャラクターです。
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