銀の花:前書き

ご注意

  • 小人→人間
  • 中世・近世/人外/切ない/片思い?/性描写なし
  • ノーマルと言い切れそうな、BL色の薄いお話です。
  • 書きたかったのは、山を埋め尽くす小人と、流れゆく歴史。
  • 原稿用紙およそ7枚
  • 苦手な方は、お戻りください。⇒TEXTTOP

銀の花

 山から吹き下ろした風が鳴る。
 まるで獣が吠えるような響きだと、アツゥーは思った。それから、羽織ったマントの前を手繰り寄せる。胸元に飾った花が、風から遮られてふわりと芳香を放った。

「時間がかかりそうだな」

 隣に腰掛けたエルデが、低く呟く。

「ああ、そうだな」

 アツゥーも低く答えた。
 もとより容易い道のりではない。おまけにこの人数では、目的地までは相当の日数がかかるだろう。だが、誰一人急ごうという者はいない。エルデの言葉も、時間がかかることを厭ってのものではなく、むしろその逆である。
 アツゥーたちは今、住み慣れたこの土地を離れるため河を渡ろうとしているのだ。人間はもはや、この世界の中に魔法や妖精や悪魔といった不思議なものが存在することを信じていない。アツゥーらのような人間の家に住む小人には、ただ人間の居らぬ遥か彼方へと去るしか道は残されていなかった。
 渡河するため舟の交渉へ行っていた一族の長が戻ってきた。どうやら話がついたらしく、小舟に乗った人間が背後で舟を操っている。
 東の空にうっすらと月が昇り始めた頃合。風はときに強く、ときに弱く、水面をさざめかせている。
 あの河を渡ってしまえば、二度とこちら側へ戻って来ることはない。それは予感ではなく確信だ。
 エルデが小さくため息をついた。

「あの人間、俺たちの姿が見えると思うか」
「いや、おそらく見えないだろうな。見えているのは長だけではないか」

 まさかひとつの谷を埋め尽くすほどの小人が隠れているとは思うまい。ご苦労なことだが、あの人間はこれから夜明けまで何度も河を往復することになるだろう。

「それでも、小人を渡してやろうと思うだけよいではないか」

 エルデは頷く。それから、被った赤い帽子を弄りながら、ぼそりと零した。

「あのような人間が他にもいればなぁ」

 アツゥーは、その言葉を聞かぬ振りをした。俯いて胸元の花を見れば、可憐な紫色の花弁が遮りきれぬ風にはためいている。この花をくれた人間を、彼は思い浮かべた。領主の庭で草木の世話をしている、赤毛の男だ。いつもはにかんだような笑顔を浮かべていた。アツゥーはその笑顔が大好きだった。
 アツゥーやエルデたちコボルトは、人間の家に住み着き、毎日ミルクを一杯貰う代わりにその家の仕事を手伝う。家の人間が妖精を信じていなければ、その関係は成り立たない。人間が不思議を信じなくなって真っ先に影響を受けたのは、そのような小人たちだった。
 アツゥーやエルデはその中でも、長が旅の決断を下すまで人間の家に住んでいることができた数少ない幸せな小人だった。エルデが被っている赤色の帽子は、彼が住み着いていた家の娘が編んだもので、彼は、その手先の器用な人間の娘に随分と入れ込んでいた。
 家の人間に入れ込んでいたのはアツゥーも同様だ。もっとも彼の場合は、娘ではなく、花の好きな赤毛の男だったが。
 アツゥーの赤毛の男へ対する想いは、人間のいう愛だの恋だのというものとは違う感情だろう。アツゥーはただ、花や草木を愛するように彼のことを想っただけだ。
 彼は姿を隠した小人を見つけることのできる珍しい人間で、アツゥーを嫌うことなく毎日コップ一杯のミルクをそっと扉の側に置いてくれた。その代わりにアツゥーは、彼の家の掃除をし、パンを焼いた。彼が草木の世話で悩んでいれば助言もした。彼ははにかんだような表情で、生真面目に頷いた。世話がうまくいけば、嬉しそうにアツゥーに報告した。
 あの笑顔が大好きだったと、今更ながらにアツゥーは思う。
 石を彫り上げたのではとうてい出せないような、あの雰囲気。草木が待ち望んだ雨を喜ぶように、彼の笑顔を見るだけで幸せだった。

「風が、まるで泣き声のようだな」

 その呟きに、今度は顔をあげてエルデを見る。

「お前、悲しいのか」

 アツゥーの言葉に、エルデは目を見開いた。それから、イライラと言葉を返す。

「お前は、悲しくないのか」
「…どうだろうな」

 悲しみがないわけではない。悔しさがないわけでもない。けれども、それよりもただ、なるようになっただけだという思いが強い。
 人間はその種族としての歴史の初めから、排他的だった。森を開き、家を立て、人間だけの集団をつくり、生活する。妖精や精霊たちのように、森の中に住み他の生き物と生活をともにしようとはしなかった。その証拠が、人間の無力さである。アツゥーたち妖精に言わせれば、森や川や山の中に溢れる力を借りる術を知らぬから、人間は不思議な力を持たぬのである。そのような不思議な力を持たない無力な人間は、森を恐れ、川を恐れ、山を恐れ、そこに息づく動物や精霊、妖精を恐れた。人間がそれらを恐れなくなったのは、自らの中に潜む力に気づいたからだ。
 花が香る。
 風はますます強くなって、花びらは今にも散ってしまいそうだ。アツゥーはますますマントを手繰り寄せて、泣くように喚く風からその可憐な花を守った。
 この花をくれたのも、人間だ。
 そのことが、今、アツゥーの気持ちを支えている。
 花を愛する赤毛の男も、家に住み着いた妖精に帽子を編む娘も、人間なのだ。そう考えなければ、人間を憎らしく思ってしまうだろう。アツゥーは人間を憎みたくはなかった。たとえわずかな時間であったとしても、妖精と人間とはともに存ることができたのだ。アツゥーはその時間をとても大切に思っていた。
 背後から、トンと背中を押された。どうやら河を渡る時間のようだ。
 アツゥーとエルデは、互いに無言で立ち上がった。人間の漕ぐ小船へ向かう。
 舟に乗り込む寸前、アツゥーは背後を振り返った。知らず、足が止まる。

「…アツゥー」

 先に乗り込んだエルデに促されて、アツゥーは舟べりに足をかけた。
 赤毛の男を思い出す。微笑みながら花を贈ってくれた彼が、枕元に置かれた銀色に輝く石の花を見つけるのは、日が昇り始める頃だろう。それはアツゥーなりの、花へのお礼だった。
 彼はアツゥーが去ることを知らない。それでよいと、アツゥーは思う。ただ、自分の家に、地中深くに隠された美しい石を掘り出して、磨き、細かな細工を施すのが得意な、花を愛する生き物がいたことを、覚えていてほしい。
 河を渡った妖精たちは、山を埋め尽くすほどの数だった。
 最後のひとりが渡り終えたとき、彼らの長はマントを取って姿を現すよう促した。河を渡してくた男へ礼を言うためだ。
 アツゥーもエルデも、それにしたがってマントを脱いだ。遠目にも、人間の男が息をのんだことが分かる。はたして、男は恐怖を覚えただろうか。これほどの数の妖精が、この地を離れようというのだ。

「…あ」

 アツゥーは思わず声を漏らした。マントを脱いだせいで、風が胸元の花を散らせたのだ。目を閉じて、ゆっくりと対岸に向かって一礼する。
 もう、この土地に返ってくることはない。
 あとに残るのは、ただ銀の花のみである。


コーボルト【Kobold】...こびとの姿で人をからかったりいたずらをする妖精

END

あとがき

> [2006/08/16] > [2008/04/02 加筆修正] > [2009/01/31 加筆修正] > [2016/05/09 加筆修正]

今回は小人の話です。風の精や水の精が出てくる話は、また別の機会に。
短い、さらりと読める話を目指しました。雰囲気を受け取っていただければ幸いです。

以下は裏話ですので、お話の雰囲気を壊したくない方はスルーしてください。
この話は、 ある人間の男が、頼まれて川を何往復もしながら小人を渡すが、その姿はまったく見えない。最後に、頼んだ小人が「何を渡したのか見たいか」と問うのに、男がうなずくと、小人たちは帽子を取って姿を現した。そこには山をひとつ埋め尽くすほどの小人がいた…。 というドイツの民話をベースにしています。
お題の頁にも「川を渡る小人」として入っていますが、私はこの民話に触れたとき、とてつもない衝撃を受けました。小人たちは去ろうとしている! スイスでは小人の絶滅宣言が出されたこともあるようですが、この川を渡るという行為はまさに決定的な決別として、私の中に焼き付けられました。
「銀の花」は、私が受けた衝撃を書いた話といえます(そんなに印象的な話をBLにする辺り、どうなんだとは思いますが)。

…ところで、すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、元ネタは「帽子」をとって姿を現すんですね。
どうして「銀の花」では「マント」なのか。花を散らすという情景を優先したという理由もありますが、一番の理由は、単純に私がマントだとうろ覚えしていたということです。

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